士は一体書斎の人だと云われている。
だが同じく書斎人と云っても色々ある。博士は独自性に富んだ学者というよりも、寧ろ最も優れた大衆啓蒙家であるようだ。無論ブルジョア社会に於ては、最も代表的な学者達に対してもまず第一に必要なのは彼等に対する啓蒙だということを勘定に入れてそういうのである。大衆啓蒙家としての博士の情熱はその人道主義的な経歴に負う処が少くはあるまい。――吾々が老後の博士に深く期待するのは、この啓蒙家としての博士の活動なのである。博士の個人的没落は、客観的に見れば決してただの没落ではないし、又元来博士は没落する程に本当に高揚していたのではなかったとすれば、個人的にさえ没落でないとも強弁出来る。まして之は「転向」などではないのだ。
例の博学な宮城検事正は処で、こう感想を洩している(東京日日七月七日付)、「そこでいつでもいうことだが共産党に対しては司直はあくまで峻厳な態度で臨むことが必要だ、これによってかれ等は転向の機会を掴み同志に対する口実が出来るのだ、尤もこの場合家族達からは出来るだけ本当の愛を注いでもらう必要がある、司直の弾圧と骨肉愛と、これを以てすれば共産運動の絶滅も敢て
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