された改正政綱(?)だとすると、それに何等の特色がなく新味がないと云われるのも、初めから当然だろう。一体現内閣(寧ろ一般に最近の内閣がそうだが)が、何か新味か特色を存っている点は、社会民衆の物的生活利害に就いてではなくて、正にそうした民衆の社会的物質生活を超絶した高みからすることに就いてであった。それが民衆生活の世俗問題にまで天下って来たとすれば、羽衣を失った天女のように、まことに凡庸で取るに足りないものになることは当然だろう。たしかに新八大政綱は、可もなく不可もない(?)通り一遍のものと云わざるを得ないというのが、外見上の事実だ。
 だが、政府がどういう政綱を発表するかというような外見だけで、この政府の実力を推定してはならぬ。この外見からすれば恐らく気が向けば何べんでも色々な政綱を声明するようなダラシのない政府だろう。処がこういう隙だらけの発表やジェスチュアを通じて現われる政府の本質は、決してそんなダラシのないものではない。仮に林現内閣はダラシがないとしても、之に続いてバトンを受け取って走るだろう今後の諸内閣――国防六カ年計画の実施は今後の内閣の性質を客観的にそう規定するものだ――の
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