られている。之は祭政一致というような宗教的儀式とは凡そ縁のないような世界の自由主義国家や唯物論国家やファッショ国家の、常套語でしかない。こうした俗悪な、民衆的な、非神祇的な、内容が盛られているのである。
 慥かに、民衆は祭政一致論議の霊的儀式には感動しなくても、世俗生活の物的利害には動くものだと、政府は初めて見て取ったらしい。之は現内閣の進歩でないとすれば堕落であるという他ないかも知れぬ。ことに政党や議会を懲戒する程のあらたかな[#「あらたかな」に傍点]資質を持っている政府が、総選挙如きものに牽制されて、民衆の現実利害などに現《うつつ》を抜かすとすれば、それはみずからその神祇的な権威を傷けるものと云わざるを得ないだろう。あらたかな政府と現を抜かした政府と、一体どっちが本当なのであるか、それが判れば国民の対政府所信もおのずから決って来よう。つまり前回発表の政綱と今回発表の政綱と、どちらが本当なのか、ということに帰するが、所がその二つのものの関係が、一見、一向に声明されていないというわけだ。
 仮に、神聖なるべき国家の祭祀的な政府が世俗の物的な交錯に、不覚にも現を抜かしたものが、今回の修正
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