いとも限らない。そうなるとこの八大政綱なるものの八の字にからまる権威はまことに怪しいものとならねばならぬ。内容を別にしても、その形態分枝自身が信用ならぬものとなろう。それとも八つということに何か神話的な意味でもあるのだろうか。大八洲《おおやしま》とか「八マタノオロチ」とかとでも関係があるのだろうか。
 察する処、七十議会の解散が国民から意外に評判が悪くて、新党運動さえも思わしくないのを見て相当狼狽した林内閣が、総選挙に臨む、ジェスチュアの一つとして、この八大政綱を声明したものと思われる。そう考えて見れば色々理解出来る点も出て来る。初めの第一回の政綱の方は祭政一致などを先頭にした一種爆弾的な声明であって、国民は恐れかしこむ他ないものであった。凡そこれ程国民の世俗的な生活利害を白眼視した政綱の表現はあり得ないと思われる程だった。国民生活の安定という、既成政党さえ少くとも御題目としては唱えることを忘れない民衆へのさし伸べられる手は、どこにも見えなかった。それが今回の方の声明ではどうだろう。社会政策の徹底とか国民生活の安定とか、農山漁村の更生とか、物価対策とかいう、甚だ神祇性に乏しい政策が掲げ
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