けのチャンスを吾々は持っている。そこで大学のこの科学水準と、杉村氏のこの科学水準とをつき合わせて見ると、どう間違っても杉村氏は立派に博士に及第しなければならぬ、というような気がするのである。
 私は日本で出版された所謂経済哲学に就いての研究を、三つ四つは見ている。故左右田博士の論文集や故大西猪之介氏の『囚われたる経済学』、学位論文としては京都帝大の石川興二氏の「精神科学的経済学の基礎問題」と法政大学の高木友三郎氏の「生の経済哲学」など。之に比較して見るならば、まだ見ないのだが多分今度の杉村「博士」の論文は決して遜色あるものではなかろうと僣越ながら推測されるのである。
 杉村氏は人の知るように左右田喜一郎氏の経済哲学を継承発展させた所の学者である。処が左右田氏は銀行家としては失敗したが、ブルジョアジーの代弁的哲学者としては、とに角押しも押されもしない代表者であった。今日のブルジョア社会では、却ってああいう形式主義的な合理主義は流行らないが、それは云わば封建的要素と結合したブルジョア社会のファッショ化の結果であって、形式主義的ナショナリズムはブルジョア科学用のイデオロギーの一要素として、今
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