乃至教授会は研究機関ではあり得ない。そうすると之は一種の同職組合、学術業のギルド組織に似たものだろう。このギルドの気質《かたぎ》と仁義にかなわないような学問や人物は、「学術」でもなければ「学者」でもない。処がこの学術業ギルドは、東大は東大、京大は京大、慶応は慶応と夫々気質と仁義とを異にしている。同じ商大でも東京商科大学と神戸商業大学とは仁義は反対だ。処がこの同じ東京商科大学ギルドの内でも、仁義に流派があって、或る一方の仁義から見て品行方正な学問と人物だけが「学術」的となる資格を有っているというようなわけだ。
さて事実、東京商大にどのような仁義があるか、私はよくは知らない。なぜ国立というような無人の荒野にわざわざ持って行って、教会かチャペルのような建築の商人の大学を造ったのかさえも、私には判らない。併し凡そ官立大学(帝大を含めて)や之に準じる公私立大学一般の、学術の優等振りと品行の方正振りとを、即ち大学の科学振りを、吾々は大体に於て知らないのではない。それから又杉村氏の科学上の研究を一々専門的に知っているのではないが、氏の大体の科学的な水準に就いては、あまり見当違いでない判断が出来るだ
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