者がすでに充分知っている処だろう。知識と経験との乏しい私などが、とやかく云うべき筋合ではない。私は、札つき[#「札つき」に傍点]の「左翼」の人達が之に対してどういう批判を下すかを、普通の印刷物の上で見ることの出来ないことを遺憾に思っているだけだ。
 併しこの「同志に告ぐる書」を読んだありのままの感想を云うならば、どこにも別に「ファッショになれ」という言葉は書いてないことが、やや意外だったと云わねばならぬ。新聞の紹介を読んで、両「巨頭」がスッカリ、ファッショになって了ったものと思い込んでいた私は、だからナーンダこんなことかと思ったのである。尤も例のファッショと間違いられそうな諸根本テーゼと共産主義との関係は殆んど説明されていないから、一見共産主義とは関係のないことを論じているように見えるが、併し元来之は「同志に告げる書」なのだから、同志に向って今更共産主義を説明する必要はなかろうではないか。
 問題はだがそこにあるのである。例えば私は、云うまでもなく如何なる意味に於ても彼等の「同志」などではない。それだのに私は「同志に告ぐる書」を読まざるを得ない。それが唯一の福音だったからである。だから
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