でやっと教授となったのだとか、博士になったのは退職を条件としてであるとか、いうのであるが、なぜこういう妙な噂が立つのかが判らないし、又不愉快な噂でもあるが、それと同時に、事実博士が停年未満にも拘らず自発的に勇退した理由も私には今日まで遂に判らないのである。博士は勇退後研究に不便を感じているように聞いているし、それから大学の方でもその後任に困っていたらしい。博士の高弟高田保馬氏は、例の貧乏道徳論的な趣味も手伝ったのだろう、恩師の影を踏むを屑《いさぎよ》しとせずと云って文学部の教授になろうとしない。博士も米田先生がなるまではならなかった。だから今日でも社会学の博士は少ないのである。そこで京大では東大の戸田教授(当時は助教授だったと思う)や今井(時郎)助教授までを招いて無理な講義をさせた程だった。一体教授が土地の隔った二つ以上の大学に兼任する程人を愚弄したことはないので、学生こそいい迷惑だろう。文部省や大学当局がそういう勝手なことをする以上、当然学生も転学の自由位い与えられるべきだと思うのだが。そういう無理をしてまで米田教授を罷めさせたのはどういうわけか、世間でも殆んど知らぬらしい。こうなる
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