のだと云われている。併し恐らく之は必ずしも普通の意味での勢力争いや何かではなかったらしく、案外学術の研究態度の内容にまで這入った一種の思想問題が最後の原因ではなかったろうかと思う。現に結局残ったものは藤沢親雄氏というような人物だったので、この人も最近になって九大をやめたが、それは追い出されたのではなくて「日本精神文化研究所」の所員に出世した結果だったのだ。誰に聞いても、思い切って悪口を云われている人だから、今ここに重ねて説明することを差し控えるけれども、少くとも氏がこの頃唱えたり説明したりしている皇道主義というものは、もう一段と技巧の余地があるのではないかと、私《ひそ》かに私は考えている。
木村氏は最近まで牧野英一教授の研究室の人で、現に法政大学の教授であるけれども、実は法政には過ぎ者の教授の内に数えられている。私の知る限りでは、刑法学者らしく又社会学者らしく頭の整理された人であって、曽つて雑誌に発表したサヴィニーの研究や、「多数決の原理」の論文は、仲々示唆に富んだものだった。木村氏と喧嘩をしたのは同じ刑法学者の風早八十二氏であるが、これは九州を追われると上京していて、中央大学につと
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