実に期待され得るような場合には、あまり立ち入り過ぎた「具体的」事実を云々すると、認識を誤らせるかも知れない。だが予審調書の場合の如きは、権威ある根拠によって立っているのだから、誤謬の可能性が現実とは期待され得ない筈ではないか。もし少しでも誤謬であるかも知れないような予感があるなら、予審は決定される筈がない。処がこうした予審で決定された「事実」を抽象的に発表しなければいけないというのはどういうわけなのであるか、それは吾々人民には判らないことだ。
 抽象的知識は必ず認識不足を産むものである。この唯物論のテーゼはこの頃日本帝国が国際的に専ら宣伝に力めている真理だ。認識過剰も困るが認識不足はなお更困る。処が今の場合は、認識不足よりも認識過剰の方が困るのだそうである。国際的には認識不足、国内的には認識過剰。難きものは認識なる哉。
 処がまだ一つ判らないことがある。常人側の被告を受け持たされた司法省側は、被告に内乱罪を適用する必要を認めず、単に殺人・殺人未遂・爆発物取締罰則違反・という罪名を付けようとするのであるが、陸海軍側は軍人被告に対して反乱罪を以て臨もうとする。之を聴いて世間では一時、何故だ
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