律もあるかも知れないが、治安維持法に限って、そんな遊んでいる法律ではない。私は法律というものを、一種の道具と思っているが、道具というものは、使われれば使われる程、進歩するものである。この法律は制定されてからそんなに年数の立つものではないに拘らず、実に急速な進歩をするので有名であるが、それがどんなに多く使われる法律であるかということ、即ちそれがどんなに重宝な法律であるかということは、この進歩のテンポの旺盛な点から測定出来る。
 最近一遍「改正」された治安維持法が、この頃再び、司法省の原案に基いて「改正」されそうである。最初の該法文は、「国体の変革又は私有財産の否認」を企てるものといった具合に、国体と私有財産制とを同一視させないとも限らないような、それ自身危険な、自分自身がこの法文に引っ懸かることを告白しそうな、性質のものだったのが、第一次の改正によって、二つの文章に分離された。国体の変革は私有財産の否認よりも重大だったからである。これによって吾々は、国体が私有財産制とは無関係であるということを、即ち又、国体の変革を須《もち》いずして私有財産の一種の否認も存在し得なくはないということを、教えられたわけである。これは全く驚くべき「日本民族の天才的資質」に相応わしい予言だったのである。なぜなら後に、×××××××××××は恰も、国体を顕揚するために財産私有者の巨頭達を××××を考え付いたからだ。
 今度の改正案は、第一次の改正案のこの調子をもっと徹底したものに外ならない。例の二つの文章は、今度は独立した二つの別個の条文に分けられるのだそうである。この法律の精神が、この二つのものを如何に分離するかという処に力点を置いているということは、大体この第一次、第二次の改正の方向から、見当がつくだろう。
 でこの法律は例の二つの条項の間に、飴のような延展力を与えることに苦心している。飴というものは引っ張れば引っぱる程、延展性を増すものだ。で、まず犯人は不定期刑[#「不定期刑」に傍点]を課せられる。この不定期刑にくぎりを付けるものは、「改悛の状」なのである。改悛の状を示したものは、起訴留保にもなろうし、隨時仮釈放も許可される。それで不安な場合には、「司法保護司」というのがいて、起訴猶予、起訴留保、執行猶予、仮釈放などの犯人を、保護し監察する。併しもし万一、こうした保姆のような道義的で涙のこもった待遇にも拘らず、改悛の状を示さない[#「示さない」は底本では「示さい」]ものは、たとい所定の刑期を終えても、引き続き豫防拘禁されるかも知れない。死ぬまで改悛しない者は死ぬまで豫防拘禁されるかも知れない、判ったかというのである。
 転べ! 転べ! 昔キリシタン転びというのがあったそうだが、今日では「転向」という名が付いている。「改悛の状」を示すとは転向するということであるらしい。だが、何から何に転向するのか。云うまでもない、少くとも、サッキ云った、重大な方の条項から軽微な方の条項にまで、転向する必要があるのである。「革命的エネルギー」という言葉があるが、それは一種のポテンシャル・エナジーで、転向・転下によって、このエネルギーがディスチャージ(?)されるわけだ。云わばこの落差の大きい程、改悛の状が顕著なわけである。――で、今度の改正案は、この落差を出来るだけ大きくしようという改正案だ。例の二つの条項の間の位置のエネルギーの差をなるべく大きくして、改悛という道徳的エネルギーに転化しようというのである。治安維持法という警察的法律を、改悛転向法[#「改悛転向法」に傍点]という修身教育教程にまで、改正しようというのである。
 問題は修身[#「修身」に傍点]にあるのだから、該法文で規定された目的を有つ秘密結社やその外廓団体に這入っていなくても、即ち組織に這入っていなくても、個人の日常の行儀に不埓なことがあれば、この修身教育教程に触れるわけである。国体変革及び私有財産制度否認の「宣伝」をするものは処罰されねばならぬ。気狂いでもない限り人間は滅多に独言などは云わないもので、口を開けば、それは自分の信念を他人に向って力説するためである。論理学では、命題というものをそういう意味に取っているのだ。処が社会学的には、これが即ち「宣伝」に外ならない。そうすると、この法律は、余計なことは云わずに、大人しく黙っていなければいけないぞ、という有難い家庭的な教訓でなければならない。
 法律が道徳に基くという法理学者の説は本当である、それから、道徳は修身だという倫理学者や教育学者の説も本当である。道徳家や人格者は決して、こういう治安維持法などには引っかからない。五・一五事件などがこの法律と無関係なのは、被告が一人残らず人格者だからだろうと思う。
 法律が階級的用具として偏向して行かずに、倫理化[
前へ 次へ
全101ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング