なかったわけだ。この体系を、今日世間では準戦時的体制[#「準戦時的体制」に傍点]と呼んでいる。林首相的表現に於ける八大政綱を如何につつき廻しても、こんな見事な体系を見つけ出すことは骨であるかも知れないが、陸相的表現を借りれば、一言にして明白になる体系だ。国民は、理論的首尾一貫と理論的指導性に於て、どっちの大臣の頭が優れているのか、眼が高いか、いやどっちの大臣の椅子の方が高いかを知るべきだ。
展望台がどこにあるかが判った以上、之に登って下々の人民共の世界を観望すればよいわけで、そこに展開する蒼生の風のまにまによろめく姿は、八大政綱を以て表現しようが、九大政綱を以て表現しようが、新政綱であろうが、旧政綱であろうが、変りはない。つまりそんなことはのりと[#「のりと」に傍点]かお題目[#「お題目」に傍点]であって、どうでもいいことだ。この政綱の類を神宣やお題目だと云って政府そのものを非難する者は、心ない次第で神宣でお題目である程度のことこそが、偶々正に必要なことだったに過ぎないのである。神話だって題目だって何かの利き目があればこそ世の中に存在するのである。
さて以上のような点を心得ておいて、八大政綱に一通り当って見ると、之は決してそんなに凡クラな声明ではない、特色があり過ぎる程特色がある。何等の新味がないなどと云うのは政党者流の浅見に過ぎない。抽象的であって何等の具体性もないというのも嘘で、世間がいやという程知っている具体的な内容を、単に抽象的な多少拙劣な文章で表現したに過ぎない。声明そのものというような外面的なものでこの政府の政策政綱をあげつらうことは、出来ない。ただ声明の内に含まれているらしい矛盾だけは少し困るので、声明が矛盾している時は心事にも何か矛盾がある時だが、併し自分の矛盾を気づかない体系も大いに存在し得るものなのだから、例の準戦時的体制という体系の首尾一貫には少しもさしさわりはないわけだ。準戦時的体制という首尾一貫した社会組織そのものの社会的な無理が、偶々まわり廻って、政綱のそこここの矛盾となって現われはしないかどうかは、別としてだ。第一政綱は「文教を刷新すること」である。説明として教学刷新、義務教育延長、学制改革、文教審議機関設置、国体観念の徹底、国民精神の作興、というのがついている。決して抽象的ではなく相当具体的なのだが、国体観念や国民精神というものがなおまだ抽象的だという心配があるなら、それが現政府に於て事実上何を指しているかを挙げて見せよう。文部省は三月末に高等学校并に中等学校の教授要目を改正した。国史や国文の類の時間を殖やし、教学刷新評議会は「国体の本義」の内容を決議し、更に教学局の新設も予定されている。文理大や一二の帝大には「国体学」講座が設けられるらしい。
都新聞(四月十二日付)によると、政府乃至文部省による「国体の真髓」は凡そ次のようなものに要約される。一、「天皇は現人神であらせられ」「永久に臣民国土の生成発展の本源にまします。」二、「神を祭り給うことと政をみそなわせ給うことはその根本に於て一致する。」三、「天皇と人民は一つの根源より生まれ肇国以来一体となつて[#「なつて」は底本では「なって」]栄えて来たものである。」四、「天皇の御ために身命を捧げることは自己犠牲ではなく、小我を捨てて大いなる御稜威に生き国民としての真生命を発揮する所以である。」五、「我国憲法の根本原則は君民共治でもなく三権分立でも法治主義でもなくして一に天皇の御親政である。」六、議会は「天皇の御親政を、国民をして特殊の方法を以て翼賛せしめ給わんがために設けられたものに外ならない。」七、「西洋経済学説は経済を以て個人の物質的慾望を充足するための活動の連関総和なりとしている、我が国民経済は然らず。物資は啻に国民の生活を保つがために必要なるのみならず、皇威を発揚するがための不可欠なる条件をなす。」八、「人間は現実的存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である、又我であると同時に同胞たる存在である。然るに個人主義的な人間解釈は個人たる一面のみを抽象してその国民性と歴史性とを無視する。従つて[#「従つて」は底本では「従って」]全体性、具体性を失い理論は現実より遊離して誤った傾向に趨《はし》る。ここに個人主義自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的過誤がある。」――大体こう云ったものだ。(この引用は全部該新聞紙所載のものに限る。)でここでも判る通り、例の祭政一致声明とこの文教刷新政綱とは全く相一貫したものでただその一貫物が、ここでは準戦時体制からの演繹としてではなく、逆に準戦時体制自身が祭政一致体系からの演繹として現わされている、というに過ぎぬ。これ程よく今日の国民が「知って」いる具体的な内容は又とないではないか。
第二政綱は「政
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