いとも限らない。そうなるとこの八大政綱なるものの八の字にからまる権威はまことに怪しいものとならねばならぬ。内容を別にしても、その形態分枝自身が信用ならぬものとなろう。それとも八つということに何か神話的な意味でもあるのだろうか。大八洲《おおやしま》とか「八マタノオロチ」とかとでも関係があるのだろうか。
察する処、七十議会の解散が国民から意外に評判が悪くて、新党運動さえも思わしくないのを見て相当狼狽した林内閣が、総選挙に臨む、ジェスチュアの一つとして、この八大政綱を声明したものと思われる。そう考えて見れば色々理解出来る点も出て来る。初めの第一回の政綱の方は祭政一致などを先頭にした一種爆弾的な声明であって、国民は恐れかしこむ他ないものであった。凡そこれ程国民の世俗的な生活利害を白眼視した政綱の表現はあり得ないと思われる程だった。国民生活の安定という、既成政党さえ少くとも御題目としては唱えることを忘れない民衆へのさし伸べられる手は、どこにも見えなかった。それが今回の方の声明ではどうだろう。社会政策の徹底とか国民生活の安定とか、農山漁村の更生とか、物価対策とかいう、甚だ神祇性に乏しい政策が掲げられている。之は祭政一致というような宗教的儀式とは凡そ縁のないような世界の自由主義国家や唯物論国家やファッショ国家の、常套語でしかない。こうした俗悪な、民衆的な、非神祇的な、内容が盛られているのである。
慥かに、民衆は祭政一致論議の霊的儀式には感動しなくても、世俗生活の物的利害には動くものだと、政府は初めて見て取ったらしい。之は現内閣の進歩でないとすれば堕落であるという他ないかも知れぬ。ことに政党や議会を懲戒する程のあらたかな[#「あらたかな」に傍点]資質を持っている政府が、総選挙如きものに牽制されて、民衆の現実利害などに現《うつつ》を抜かすとすれば、それはみずからその神祇的な権威を傷けるものと云わざるを得ないだろう。あらたかな政府と現を抜かした政府と、一体どっちが本当なのであるか、それが判れば国民の対政府所信もおのずから決って来よう。つまり前回発表の政綱と今回発表の政綱と、どちらが本当なのか、ということに帰するが、所がその二つのものの関係が、一見、一向に声明されていないというわけだ。
仮に、神聖なるべき国家の祭祀的な政府が世俗の物的な交錯に、不覚にも現を抜かしたものが、今回の修正された改正政綱(?)だとすると、それに何等の特色がなく新味がないと云われるのも、初めから当然だろう。一体現内閣(寧ろ一般に最近の内閣がそうだが)が、何か新味か特色を存っている点は、社会民衆の物的生活利害に就いてではなくて、正にそうした民衆の社会的物質生活を超絶した高みからすることに就いてであった。それが民衆生活の世俗問題にまで天下って来たとすれば、羽衣を失った天女のように、まことに凡庸で取るに足りないものになることは当然だろう。たしかに新八大政綱は、可もなく不可もない(?)通り一遍のものと云わざるを得ないというのが、外見上の事実だ。
だが、政府がどういう政綱を発表するかというような外見だけで、この政府の実力を推定してはならぬ。この外見からすれば恐らく気が向けば何べんでも色々な政綱を声明するようなダラシのない政府だろう。処がこういう隙だらけの発表やジェスチュアを通じて現われる政府の本質は、決してそんなダラシのないものではない。仮に林現内閣はダラシがないとしても、之に続いてバトンを受け取って走るだろう今後の諸内閣――国防六カ年計画の実施は今後の内閣の性質を客観的にそう規定するものだ――の本質には、国民の眼から見て何か淋漓たるものがあるだろうと思われる。だから案外、前政綱と新八大政綱との間には、一貫した或るものが客観的に存在するのである。この一貫した或るもの、之は実は正確に云うと例の祭政一致のことでもなければ、まして国民生活の安定其他の類でもない。夫が何であるかは、林首相などに聞くより陸軍大臣に聞くのが何より早途である――
杉山陸相は八大政綱の発表に際して新聞記者に語っている、「決定した新政策は先に自分が師団長会議、東京在郷将官懇談会で述べた国軍の総合的能力の飛躍的向上発展を期するという趣旨と全く一致せるもので、今日ではこの考えは軍民一致、全国民の考えと一致するものと思う。いい換えれば狭義広義両方面の国防的見地から……」云々(東京日々四月十一日付)。陸相の体系[#「体系」に傍点]によると、八大政綱の一切が、思想問題であろうと国民保健問題であろうと、産業統制であろうと、その他一切の問題が、この広義国防(とは即ち狭義国防のことであることを注意せよ)の見地から、系統的に演繹出来るというのである。祭政一致論議も国民生活安定も加味するの論も、この体系からの単なる個々の演繹に過ぎ
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