日でも立派に国家的、「学術的」、大学的な通用性を持っている。この極端な代表物が杉村氏の哲学であり、その粒々たる苦心の結晶が、多分今度の論文だろうと思う。
 経済学と哲学とに両股かけていようと、経済学でもなく哲学でもないにしても、それから又、こうした苦心が結局は玩具製造人の苦心に類するもので仮にあったとしても、今日の大学がこの「学術的」労作を握りつぶし得る義理ではあるまい。――杉村氏や少壮助教授や学生達が「学術刷新」と「学園振粛」とのために起とうとしているのは、正にこの意味なのである。
 ブルジョア大学が、アカデミックに又恐らくギルド的に申し分のないこのブルジョア科学的労作を「学術的」なものと認めないとすると、一体今後大学は、どうする心算なのだろう。之はブルジョア大学がみずから墓穴を掘るものでなければなるまい。問題は所謂、「大学」(独り東京商大に限らぬ)自身の問題であって、杉村助教授の問題ではない。杉村助教授その人の問題としてなら、いくらでも途は開かれているので、氏がブルジョア・アカデミーの「学術」的なエクスタシーから、之を機会にして、正気に帰るということも、一つの手であるかも知れない。

   二、官吏道

 官吏の身分保障令が制定されてから、既成の上層官吏の異動が[#「異動が」は底本では「異動か」]少なくなったのはいいが、それだけ高等官候補者の出世が困難になり、内にはスッカリ腐ったり上官の失脚を喜んだり、政党内閣の再来を希望したりするものさえ少くないという。官吏の総元締である大臣にしてからが、誰かが死んだりすると、その後釜をねらう者が多くて、その結果岡田首相は一時でも逓信大臣を兼摂しなければならなくなる程だ。上官の失脚を喜ぶ下ッ葉の若い官吏があるのも無理はない。
 内務省の観察によると、高級官吏の若い候補者達のこの憂うべき傾向は、結局今の若い者に腹がないからで、腹を造らせるには、禅寺あたりで修養させるに限るというのである。そこで内務省では全国府県に配属してある見習属約百五十名を三班程に分けて、二週間位いずつ鶴見の総持寺にこもらせ、精神修養と時代の「認識」とを与えることにするそうだ。講師には云うまでもなく、僧侶と軍人は欠かすことが出来ない。教育家と財政家即ちブルジョアの技術的番頭も欠かせない。行く行くは官吏道場というものも造り、腹の出来た若僧役人達が、ワッハッハと豪傑笑いをすることになるじゃろう。
 だが、酒一つさえあまり飲むことを知らぬこの頃の若い者に、容易に腹などが出来るかどうか、可なり危っかしいのである。併し実は腹なんか出来なくても構わないので、いや下手に腹などが出来られては危険でしようがない。精々、出世しなくても不平を云わずにおとなしく働けるだけの腹が出来れば、それ以上の必要はないのである。
 之は官吏の話ではなく、従って本当のお役人とは云えないかも知れないが、この頃東京市の少壮中堅吏員が「市政研究会」という団体を造っている。市政浄化を目ざして吏道の確立を計るのだそうだ。市政を害毒するものを吏員自身の手によって芟《さん》除しようというのである。既に会員は千名を越えているし、やがて機関紙も発行するし、更に運動を全国の都市の吏員にまで拡げようという。――こうして中堅以下の吏員の横の連絡が出来上れば、心配になるのは〇〇〇〇市区議員や上級吏員や市長や助役ばかりではない。吏道の統制そのものが危殆に瀕するかも知れないのだ。すでに××××に於てこの現象は極めて著しい。文官官吏に於ても、外務省や司法省にこの悩みがなくもないそうだ。だから、内務省だって決して安心してはいられない。知事の卵の腹を造ることは必要だ。併しおとなしく不平を云わずに働く腹を造ることだけが必要なのだ。
 処が民間に能率連合会なるものがある。この能率主義者の一団が、お役人の暑中の半ドンは、晩まで働いている民間の労働者に較べて、甚だ社会的に不当だという考えから、官公庁の夏季執務時間を民間の銀行、会社並みに改めることの可否に就いて、各方面に賛否の問い合わせを発したものである。同会の理事は云っている、「私達のは勿論能率向上[#「能率向上」に傍点]という見地からですが……非常時局の折柄指導的立場にあるべき彼等の夏季半休は時代に逆行するものではないでしょうか。」
 問い合わせの先は、特に官公庁を除外したのであるが、約四百通の問い合わせに対して最近までの回答、廃止すべしが二百六十通、従来通りでよしとするもの僅か五十通、という成績である。(尤もこの賛否には夫々の特別な理由が伏在しているのを忘れてはならないが。)そこで愈々官吏側でもこの問題を事務管理研究委員会に付議しようということになって来た。――例の知事の卵とかは、涼しい禅寺でユックリと二週間も修養させられるかと云うと、忽ち半休取
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