り消しという眼に合おうというわけだ。非常時局だから大いに発憤して気勢を揚げようとすると、非常時局だから大人しく朝から晩まで働けと云われる。
 なる程官吏乃至一般にお役人位い社会的に優遇されているものはない。夏季に半休があるなどということは、その優遇の抑々末端である。身分保障、恩給、退職手当、年金、官舎、昇給、其他から云って、決して民間のサラリーマンの比ではない。それに官吏の背景には国家の権威が射している。身は××にぞくしているのだ?――併しそういうなら、民間のサラリーマンを一般の所謂労働者に較べて見たら、サラリーマンは何と社会的に優遇されているではないか。処が又この就職労働者を失業労働者に較べて見たら彼等は何と贅沢[#「贅沢」に傍点]な社会条件におかれている事だろう。否、本工と臨時工との差だって実質的には大したものなのだ。失業者だってカード登録者と純然たるルンペンに[#「ルンペンに」に傍点]較べたら、カード氏等は如何に贅沢な社会的厚遇を享受していることだろうか。話は段々細かくなり心細くなるが、社会的優遇の差は、主観の隣接した視界に於ては、その割に小さくはならないのである。
 社会人は誰しも、この社会的優遇(?)の差を不平等で不埒だと考える。この差を除くことが今日の社会人の常識である。処がこの差の除き方には、数学的に云って二つの方法があるので、一つはどれも之も云わば一様に社会的に優遇することによるものであり、他の一つは優遇されたものの「特権」をわざわざすべて廃止して了って、どれも之も最低の社会的優遇(?)に還元しようというのである。処で後の方のやり方を、能率増進とか能率向上とかいうのである。
 能率増進というと如何にも景気が良く、すぐ様輸出の増大とか産業の発達とかを連想するかも知れないが、何でも増進さえすればいいというわけではない。例えば血圧などは増進しては困るものの一つだ。それに能率と云うと如何にも頼もしいのだが、実は能率には二種あって、機械とか工場設備とかいう物質的技術的能率と、労働者の働かせ方とかその労働力の最後的緊張能力とかという人的能率とは別だ。一体エフィシェンシーというのは機械に就いての工学上の概念だったのを、何時の間にか社会の生産機構に持ち込んで来たので、遂に人間の能率(即ち使いべりのしなさ加減)のことにもなって了った。能率という観念の食わせ物である所以は之だ。
 日本の官吏も今や遂にこの工学的な能率増進の対策にされて了った。
 国家の権威を背景としていても、いくら威張っても、官吏は資本制社会機構での一勤労者で、被使用人であることを免れないということになった。こんな判り切ったことを併し、日本の官吏自身も日本の人民も、実は充分突きつめた形では、理解し得ない理由があるのである。名誉ある官吏道[#「官吏道」に傍点]なるものがそこにあるからである。

   三、警察明朗化

 八月の上旬に溯るが、小原法相は検事の人権蹂躙問題が議会に於てまで問題にされたのを見て、検事事務調査会なるものに命じて、検察事務改善に関する答申をなさしめた。その答申によると、第一「職務を執るに当りては常に人権の重んずべきことを念《おも》い、その非違を匡正するは安寧秩序を維持するため已むを得ざるに出ずるものなることを忘るべからざること」、「被疑者其他関係人を取調べるに当りては、其言語動作を慎しみ、苟も取調べを受くる者をして、その名誉信用を毀損せられ侮蔑を受くるの感を抱かしむるが如きことなきよう常に慎しむこと」、又「未決拘留期間の短縮に努むること」、其他というのである。
 帝人事件に関する人権蹂躙事件は、主に検事局内で起きたことだったから、之を直接の動機にしているこの調査会の答申は、云うまでもなく直接には検事の取調べ方に就いての注意だろう。之によると、之まですでに人権蹂躙に近い事件が××側になくはなかったということを自白しているようなもので、国民は之を以て、××が人権蹂躙の事実を或る程度まで暗に承認したものと見做していいのかも知れない。
 それはとに角として、この答申は勿論単に検事取調べの場合に就いてだけ云っているのではなく、司法警察官の取調べ態度に就いても云っているのである。未決拘留期間の短縮云々は、だから警察署の場合では、検束・検束の反覆・拘留及びその反覆の警察官による司法乃至行政処分の期間短縮を含むものと見ていいだろう。拘留か検束か知らないが、左翼思想犯の留置場乃至保護室に於ける留置期間は半年位いは普通になっている今は、この点は大切なのだ。検事局がこの新しい方針? を取る以上、だから警察も亦この方針を取るべきであるのは言をまたない。
 東京地方検事局の猪俣検事正は、今度検事と司法警察官との連絡を密接にするために、検事の警察巡回制度を実施することにし
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