に移ろう。そう云ったら怒る人もいるかも知れないが、とに角思想関係で馘になったとかならぬとかいうのでない、もっと面白い馘になり方もあるという話だ。教育史上では、この間の法政騒動は、美濃部問題や滝川問題に負けず記録的なものだ。というのはその馘首量に於て優秀なのである。敵味方入れ混っての合戦だということをまず注意しておいて、最初の前哨戦は平貞蔵教授の免職である。一体九大法文学部の初期の教授達が例の(又出て来たが)美濃部博士の系統だったと似て、法政の経済学部の教授達は大体高野岩三郎――大内兵衛系統の新進だ。その内で一等権謀もあり率直さもあるのが平氏だったようだ。表面上はあまり香しからぬ理由で(尤もそういう理由は大学の自治の手前大して重大性を有つとは[#「有つとは」は底本では「有っとは」]思われないのだが)、罷めて確か満州の調査機関に赴任して行った。その後本隊の決戦が行われることになる。
そこで馘になったのは所謂四十七士で(尤も正確には四十七人はいなかった)、問題の中心人物野上豊一郎氏を始めとして、相手方の森田草平氏が不倶戴天の仇敵のように考えている内田百間氏や、山崎静太郎・佐藤春夫・土屋文明・谷川徹三・豊島与志雄等の人々がその内に這入っていた。尤も学部に関係ある人は学部だけ残ったが。(私も四十七士の仲間に入れて貰った一人だ。)何と云ってもこの内で興味のあるのは野上氏と百間先生だろう。
反野上派と当時反野上派にすっかり吹き込まれていたお人よしの法政大学の学生生徒諸君とによると、野上氏位い官僚的な横暴な人物はないのだそうである。野上がいるために法政は自由を奪われ、学内自由主義は日に日に消え細りつつある、というのが、法政大学の進歩的な学生生徒の社会科学的分析である。なる程野上氏が人によっては官僚的に見えたり横暴に見えたりすることは事実かも知れない。だが凡そ官僚的でなくて横暴でない私立大学の理事などが論理的に可能だろうか。氏が決して官僚的でも横暴でもないらしいことは、夫人野上弥生子氏の小説「小鬼の歌」に就いて見るべきだ。
官僚的だとか横暴だとかいうのが、法政の出身者でなくて帝大出だとか、法政の卒業生の云うことを聞かないとかいうことだとすれば、真面目に対手となれぬ。だが私は事実野上氏を官僚的で横暴だと信じている。なぜなら夫によって初めて、氏は法政を出たあまり柄の良くない老先輩の学内行政進出を防ぎ得たからである。今日の私立大学の大先輩達が、大学を自由にするのは、自分達の自由にする意味であって、大学の自由を与える意味ではないという事実を、併し若い卒業生や学生は知らなかったか又は過小に評価していた。野上氏が退いてその結果は、校友理事達の云わば美濃部排撃的な常識が権力を持つことになって、自由主義教授達は尽《ことごと》く追い出されるか時間を激減されたのであるが、頭の良くない法政の学生や若い先輩は、今更のように驚いて、之を一種の偶然な原因に帰している。この間『社会評論』の四月号に出た法政騒動談を読んで見たが、矢張法政一流の偶然観的社会分析(?)しかない。――野上氏の人格などとは関係なく、法政の条件は分析されねばならなかったのだ。
野上氏は長く関係していた法政をやめて、九大の英文学の講師をしたり、能の本を出版したりして、愉快そうにしているが、之は一体どうした間違いだろうかと思う。なる程野上氏には之で見ると、あまり「愛校心」はなかったようだ。
内田百間氏は免職と同時に続々として随筆集を出版して敵味方を驚かした。氏の作品を見ると、私は氏が一種の被害妄想狂であることを信じる。氏の有名な借金上手も、この点から充分に説明出来る。借金という貸主からの被害がなくなると、内田氏は初めて本当に憂鬱になるだろう。愛惜される憂鬱ではなくて、憂鬱な憂鬱が来るだろう。その時が来るまで氏は書きつづける。氏は決して森田氏が云っているような騒動の巨魁などではない。
百間氏の被害妄想症に対比されるべきものは森田氏の有名な露出症である。森田氏はいつでも忽ち用もないのに腸《はらわた》を皆に見せて廻る。尤も見て了ってから徐ろに又元の腹壁に大事そうにしまい込むのであるが。この露出症が学生の気に入って、若い卒業生達に担がれて反野上の巨頭となったのだが、元々大した見透しがあったのではない。常識的な理事が出て来ると、忽ち馘となって了って、担いだ若い校友達の方は教師に返り咲きしたり新らしく学内就職に成功したりしたから、そこで氏は西郷南州となった。すると野上氏はさしずめ山県有朋になるわけだが、なる程之は官僚の元祖であった。
罷免後の氏の消息をあまり知らないが、何と云っても草平氏は過去の型の人物ではないかと思う。帝大新聞に例の小説『煙烟』を『梅園』と書かれたと云って悲観していたが、今は大衆文学や歴
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