な行為の対象となった女どもが可愛相だというのである。そして特に娼妓や芸妓や酌婦というような、この御婦人達にとっての金科玉条である生理的貞操の心理を攪拌するような連想を有つものを、この子女売買の名に値する代表的なものとして理解しているらしい。つまり、今日の東北の農村は子女の貞操観念を破壊する、だから東北の凶作は不道徳だ、という推理が中心な信条になっていると云っていいようだ。
だが人身売買は、又特に女子売買は、決して子女の生理的貞操の人身的売買ばかりではない。国際労働局次長のモーレット氏によれば、最近の日本製品の世界的進出は、日本のソーシャル・ダンピングに基くのではなくて、日本に於ける産業合理化と技術の優秀と、それら日本国民従って又日本労働者の特殊な生活の簡易にあるのだという。ここで産業合理化というのは労働力搾取の高度化ということで、又技術の優秀というのは機械設備が優秀であることではなく労働者の技能[#「技能」に傍点]の搾取が発達していることだ、ということは今更説明するまでもない常識だが、これはつまり、その次の、日本労働者の特殊な生活の簡易、を条件としているものに他ならない。
その最もいい例は製糸工場紡績工場の女工であって、この日本に特別沢山いて繊維工業の労働力の大半を占めている女工なるものが、正に、他ならぬ農村の、と云って曖昧ならば零細農民の、娘達なのである。女工の募集が人身売買の形を取っていることは周知の通りで、従ってその結果女工の日常生活が買われた身体の生活であることも、寄宿制度その他の形で判る。生理的貞操に直接は関係しないというだけで、酌婦や芸娼妓に較べて根本的な相違のあるものではない。この点女中もそうだし、又独り女に限らず又子供に限らず、一般に今日の労働者乃至失業労働者が皆そうした根本条件の下に立たされている。豈東北の、凶作地方の、農村の、女の子、に限らんやだ。
例を青森県から取ると、県下を去っている年頃の女達七千人の内、芸妓は四〇五、娼妓は八五〇、女給は九四八、酌婦一〇二四、女工は一四二七、それから女中[#「女中」に傍点]が断然多くて二四三二名である。之で見ても判る通り、女子売買の内、数から云えば、多いのは女工[#「女工」に傍点]と女中[#「女中」に傍点]であって、芸娼妓は之に較べれば寧ろ少ないだろう。矯風会や愛国婦人会の婦人[#「婦人」に傍点]道徳では農村の子女の救済に不向きだということが結論出来ないだろうか。
尤も之は何も婦人達に就いてばかり云っているのではなく、青森県で出来た「農村婦女子離村防止委員会」(市町村長・警察署長・職業紹介所長等からなる)や山形県下の「娘を売るな!座談会」などの、道徳[#「道徳」に傍点]に就いても、云いたいことなのである。元来道徳は、ニーチェではないが、いつでも婦人的なものだから。
新潟県では愛国婦人会が、身売り志願者に金を貸して、職業紹介をしてやることにし、金は返せなければ返せないでも仕方がないという、ことにしたそうであるが、之は救済手続きとしては何よりも率直で実際的だ。百の委員会よりも、千の座談会よりも、或いは何十万円の「涙金」よりも価値があるだろう。処が貧農の娘達を職業紹介すると云えば、今日は何と云っても一般に最も労働条件の悪い女中奉公になるわけで、愛国婦人会の奥様方は之を利用して、うまく女中探しをやることになるわけだ。当然之は娘達の農村離脱を結果するので、これに照して見ると、先に云った青森の「離村防止委員会」はやや勘違いではなかったのかと気がつくのだが、併し人身売買の防止から出発して、青森県の例でも一等多数を占めていた女中出稼を奨励することは之は婦人会側の多少の勘違いを意味しはしないのか。尤も多少の勘違いはあろうがなかろうが、何も考えず何も実行しないよりは増しなのは云うまでもない。ただ要点は依然として婦人道徳[#「婦人道徳」に傍点]の限界が災の種だということだ。
東朝系と東日系との義捐金競争は、之又涙ぐましい美談だろう。例の婦人団体を後援したものは東京朝日新聞であるが、東京日日新聞は之に対して「東北振興会」なるものを後援して遂に之を奮い起たせた。この会は東北地方の産業発展を目的とするために設立されたものだそうだが、それが東日に促されて初めて義捐金募集に乗り出したというのである。これ等の義捐金募集運動によって、都下の市民・小市民の醵出した義捐金は無論莫大な額に上る。
処で内務省の全高等官は今後半カ年間年俸の五分を割いて農村に捧げることを申し合わせ、農民ばかりではなく後藤文夫内務大臣をも喜ばせた。この風俗は官吏の全部に行き亘って、事務次官会議では、各省高等官は俸給月額の少くとも百分の一を醵出して農村に送ることを申し合わせた。大蔵省の計算によると、之は全国で少くとも月額六
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