ての犠牲に供されねばならぬわけとなったのである。思えば山下局長の心事誠に悲壮なものがあるではないか。
 さて市電市バスの同盟罷業だが、争議団は東交幹部四十五名の解傭や、一般解傭の威嚇や、従業申し出での誘惑にも拘らず、一糸乱れず合理的に且つ合法的に罷業を行っていると伝えられている。尤も内部にも東交と日交との区別はあるらしく、市当局が最後会見を申し込んだ時、日交代表だけはノコノコ出かけて行ったし、又同じくこの日交の幹部三人が、争議の真最中に独立に警視庁官房主事を訪問などしていて、意味の通じない談話を新聞に載せるなどしてはいるが、争議団大衆は極めて組織的であるように見受けられる。だが問題は相不変今度も、各種の外部市民からのスキャッブだ。
 電気局当局は争議団に対抗すべく市営のスキャッブ団を組織して電車やバスを予想外の数を運転しているらしいが、その過半数が市民からの志願者乃至義勇軍だということが問題なのである。之は例の防空演習とも関係があるのだが、東京市内外の都市には防護団というのがある。之は大震災当時は××××××××××××××××的行動を敢てした小市民小商人を主体とする団体の後身で、この前の防空演習には、×××××××××××たものだ。この間の防空演習では大分落ち付いて来て、×××××になったようだったが、之に眼をつけたのが市当局で、予め各区の防護団に、いざという際にはよろしく頼むと渡りをつけた。防護団とまぎらわしいものでは例の青年団というものがあるが、之は田舎だけかと思ったらこの頃は東京にもあるらしく今度は方々の区から制服を著たこれ等青年団員が出て、千数百名もの者が市電の車掌をやっているそうである。変っているのは板橋区議の九名がバスの運転を志願したことで、之等区会議員諸君は、この心掛けなら今に市会議員に出世するだろうという噂さである。
 市電従業員の一部からなる修養団の代表者などは、警視庁の特高部長を訪問して、何とか早く解決して呉れないと困ると述べて来たそうである。市民としての修養にさしつかえるからとでも云うのであろうが、労働課や調停課に行かずに特高部へ行ったのは、多分修養団が特高と仲が好かったからに過ぎないだろう。それから新聞の伝える処によると、藤沼警視総監が、強制調停の見込みが立たない時は個人[#「個人」に傍点]の資格で乗り出すかも知れないそうである。どういう意味なのか実はあまりハッキリ飲み込めないが、之も多分一市民[#「一市民」に傍点]の資格で乗り出すということだろう。
 処が実はこの「市民」という資格が甚だ困りものなのだ。なぜなら防護団や青年団やの或る者、臨時雇ルンペン、其他其他の争議スキャッブが皆「市民」の立場から発生するのだ。変な税金を取り立てられ、市議の勝手な財政政策(?)によって自由にされていながら、その破綻を瀰縫するための市当局の無茶を見て、却って忽ち市のためとか公益のためとかいう「義勇性」を発揮する。そして市民が足を失うのはとに角不正で困ることだというのだ。こうした、オッチョコチョイな「市民」は一切の市内交通が思い切って杜絶でもして本当に痛い目に合って見ない限り、交通労働争議の本当の意義が判らないだろう。
「市民」がたよりにならないとなると、之に代る資格は「軍人」である。御承知の通り、吾々日本人は、凡て市民であると共に軍人なのである。軍部は今度は絶対静観すると称して、在郷軍人の軽挙妄動を厳に戒めているらしい。之は甚だ結構な当然なことで、折角の「軍人」までが「市民」になって了って貰っては困る。――だが、元来軍人と市民とは案外仲がいいもので、今日最も勇敢な「軍人」は他ならぬ八百屋の小僧や呉服屋の番頭で代表される「市民」なのである。尤も、市電従業員は火薬や大砲を造る労働はしないし、市電は国有鉄道や満鉄や北鉄と連絡はしないのだから、市電従業員の罷業は、仮に「市民」にとっては大問題であっても「軍人」にとっては静観の対象に止まることも出来るのだが、文部省は天下の形勢を観て取って、青年団が争議破りに関係することを戒めようとする意向になったらしい。処が青年団の或る代表者は、個人の資格でスキャッブに参加するのなら好いではないかと云っているが、その個人の資格[#「個人の資格」に傍点]というのが取りも直さず市民の資格のことで、之が一等困りものなのだ。
 軍部を初め文部省、それから内務省、大蔵省、警視庁に到るまでが、今度の市電争議に就いては争議団の方に従来に較べて多少の同情を示しているように一見見えるということは事実だ。相不変オッチョコチョイに躍り始めた「市民」達はそこで、一寸拍子抜けの態のように見える。市電従業員の日給は元来可なりに高すぎたから減給するのは当り前ではないかとか、苟も公共事業である市電でストライキをやるなぞは非国民
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