ないのは無理からぬことだ。
局長以下二千名の俸給はそのままで、従業員だけが約半額の減給というのだから、誰だってこんな親を本当の親とは思うまい。二千万円も退職手当を出す(場合によっては一人五千円近くにさえなる)のだから、文句は云わぬ方が良かろうと、それに退職手当を勘定に入れると、実は四割五分どころではなく、僅に四分乃至一割九分の減給でしかなく、場合によっては増給にさえなるから、良いではないか、グズグズ云うと退職手当を踏み倒すだけでなく、共済会で出す筈の金も半分ばかり踏み倒すぞ、と市当局はいうのである。併し冗談もいい加減にして欲しいので、退職手当は減給などとは無関係に傭員規定で決っている従業員自身の積立金で、自分の積立てたものを自分が受け取るのは別に変ったことではないのである。仮にそうでないとした処が、あと十年つとめれば十年だけの退職手当の増加もある筈の処、今の計算で之を貰うのでは何のことはない、年功加俸を踏み倒されるようなものだ。(而も噂によると、今渡すのではなくていつか退職する時渡すことを今から約束しておくに過ぎないということだ。)それから、仮に一時金として二千円貰った処で、之を今後の十年間で割れば年二百円でしかない。それと引きかえに日給が初任給より僅かに高い程度のものに引き下げられるのだ。だから、減給率が四割五分の代りに一割何分だとかいう市当局の弁解(之は新聞でも算出してあるが)は、一体何を根拠にしたものか、数学的に極めて疑問でなくてはなるまい。流石の警視庁も気が引けたと見えて、強制調停を見越して、市へこの点につき質疑を発するそうだ。
局長の親心には、こういう数学応用の手品があるばかりではなく、他に行政的な手品もあるのだ。一旦馘首して全部を改めて採用するというやり方が、仲々上手な減給法であるばかりではなく、もし万一之に多少とも困難が伴って従業員に不穏(?)な行動でもあった場合、それ等の従業員に限って再採用しないということにすれば、甚だ円滑に不良(?)従業員だけをピックアップして、平和に閉め出すことが出来るというわけである。
話しは変るが、東京市会が本年度の予算編成に際して、市会議員の歳費千二百円を三千円に増額お手盛りしようとした事実を、読者はここで思い出して欲しい。尤も之はいくら何でも外聞が悪いというので、その代りに市政調査費という名目で市議一人当り年八百円、更に今度は新設貯水池の着工促進に関する事務嘱託という名目で一人当り五百円、を分領することに、市議達自身で決めたという事実である、一事が万事この調子でいながら、傭人税とか倶楽部税とかまでを新設した勝手な市当局者である。或る人は、今に猫にでも税をかけねばなるまいと云っている。だから、市電の赤字は市電の従業員の責任に他ならぬと、この我儘な親達の親心は思っているに相違あるまい。それでなければ市財政全般に亘る緊縮の必要は一向顧ずに、相不変、従来通り市電従業員に全負担を転嫁するというような気にはならない筈だ。
尤も、市財政全般の窮状は主として市電の赤字に責任があることは事実で、市電は之までに約二億円の負債を稼いで来たのである。だが之は何も市電が悪いのでもなければ、況して市電従業員が悪いのでもない。大東京市の近代資本主義的発達に伴って、交通機関が極度に発達した。その結果、実を云うと路面電車程時代後れな交通機関はなくなったのである。之は処が別に東京だけの特別な現象ではないので、外国の近代都市にはいくらでも前例がある筈だから、こうした愚劣な電車を今時運転しているのは明らかに「市政調査」の好きな市議達の、怠慢だと云わざるを得ない。関東震災を期として、多分市電は一掃されるべきであったろうに、その折の五千万円の損害にも屈せず、ワザワザ市電を復興して了った責任は市当局にあるのだ。この時市電自身を整理しておいたら、今になって市電従業員の整理の必要などは起きなかったのだ。この市電従業員整理案、乃至之に基く従業員のストライキは、云う迄もなく資本主義発達の一矛盾の現われだが、夫が特に資本主義の技術的発達に於ける矛盾を最も直接に表わしている処に、この問題の特異な点があるのである。
だから、いくら山下局長が今後に於ける整理の打切りを声明しても、それが見す見す嘘になることは判り切っているので、実はそういう人為的な姑息な手段では、市電の運命の大勢はどうにもならないのである。市当局者の親心は無論この消息を知らないのではない。彼等は今度の整理で市の財政が立ち直るなどとは夢にも信じてはいない。だがいくらそうでも、とかく気休めと一時逃れというものは好ましいものだ。処が気休めや一時逃れのための犠牲とするには、自分達親心の所有者達の一身はあまりに貴重だ。そこで従業員の生活がこの気休めと一時逃れのモルヒネの注射とし
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