で財団法人「三井報恩会」を設立し「社会事業その他公益的施設の経営又は助成、及び有益なる学術研究を工業農業其他の産業に応用する実験費援助」の名による第一回支出金額を決定させたということである。どうせブルジョア科学やブルジョア技術学のためにしか費われない金だから質の上ではあまり期待は出来ないだろうが、とに角之だけの金額ならば善いにつけ悪いにつけ、多少の効力は必ず発生するだろう。
和歌山県下の或る農業学校の校長さんは、三十年間の教員生活で貯金した金一万円を学術振興会に寄付した。これぞと云って功績のない自分が分に過ぎた社会的待遇を受けていることが感激に堪えないので、せめてこの一万円を学問の進歩のために使って貰いたいというのである。一体世人は学術振興会が「学問の進歩」につくすことの出来るものだと固く信じているらしい。併しとに角之も一万円も纒った金を寄付するのだから、寄付行動として極めて自然に納得の行くものだろう。
処で、昨年十二月以来「東京府立一中内愛国十銭会」という名義で、海軍省恤兵金係りへ国防資金が送られて来るそうだ。初めの月は三円だったのが段々殖えて四月までには総計八十二円何がしになっているという。初め五年生の某君が友人二三人と相談して月々十銭ずつを寄付すべく造った愛国会だったが、今では全校の六割もの会員を擁していて先生の指導監督は一切受けない生徒の自治団体だという話しである。月々百円程度を国防費に加えても、年十幾億に上る「国防費」に較べればその対照は寧ろ滑稽だが、併しこの献金行為の意味は無論その金額の上にあるのではなくてその精神[#「精神」に傍点]にあるのだ。実は之は国防費の問題ではなくて、国防精神教育の問題なのである。
併し中学生は何も自分自身で自分を国防精神教育する気持などになる筈はないのであって、彼等自身にとっては問題は国防精神教育にあるのではなく本気に国防乃至国防費にあると想像していいだろうから(尤も彼等の多少×××な英雄主義や小さな仕事欲がそうさせたのなら別だが)この献金行為の教育的意味は中学生自身の側にあるものではなくて別の方面にあるべきものに相違あるまい。之はいわば国防精神教育の実地演習なのであろうが、実地演習というものはそれが単なる演習であって単に教育日程の上で仮構されたものに過ぎぬということを、実習教育される当人達が知っていなくては実習にならぬ。それを本物だと思い込まれたら飛んでもない×を教えたことになるからである。処がこうした国防精神教育の実習になると、運悪くもこれを本物と思わせなければ精神上の効果を産まないのがその特色なのである。之が真似事だなどということを知られては実習にならぬというのがこの精神教育の本質だ。
寄付と云ったような物質的な行為になると、それが精神的になればなる程、即ち物質量の上の問題でなくて「精神」の問題になればなる程、その「精神」が不純になるというそうした不思議な特色を持っているのである。
現にこの献金行為は、生徒の寄付行為ばかりとは解釈出来ない、一つの教育行為なのだが、その教育行為が、教育行為それ自身として見て決してアケスケにはなれない理のあるものなので、それを反映する生徒のこの献金行動に、何か中学生の身体のような不均衡なものが見えるのだ。
この間、御徒町の巡査派出所に突然小さな洋封筒を投げ込んで行った小僧さんがある。開けて見ると五十五銭這入っていて「護国の偉人東郷元帥」にお香典として奉って下さいという手紙がつけてあったということだ。香典は身分と親縁関係によって大体の金額が決まるものなのだからその額の実用価値如何に関係なく、いくらの香典でも、単にその精神上の意味ばかりではなくその物質上の意味が成立することが出来る。
この小僧さんの「真心」は相当正直に買っていいかも知れない。東郷元帥の国葬にお賽銭を上げた人間が少くなかったということだが、こうした「喜捨」に較べればずっと意味の透明な行為だ。
尤もお賽銭でも相手が東郷元帥の遺骸だから少し変に思われるまでで、東郷神社も沢山出来るというから、神様や仏様と見做したのだとすれば、之もそんなに不自然な寄付行為ではないかも知れない。――だがこの二つの場合でも香典やお賽銭にあまり物質的意義がないと考えられる範囲に於ては無意味であって、もし強いて之に精神的[#「精神的」に傍点]な意味をつけるならば、それは先に云った府立一中の生徒の寄付行為と同じ精神上の意味のものに帰着する他ないだろう。ただ違う点は、一中の教育家先生達の代りに、社会の非常時道徳の強制力が、国防精神教育を引き受けているという点だけである。
一中の先生の教育行為や非常時道徳の強制力が行う教育行為には、また学校教育とか社会的強制とかいう建前があって、たとえ嘘にしろ嘘だという確信が伴
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