ない、問題は資本家地主や所謂中産階級という社会の最も健全な分子が貧乏することである、否、社会の大多数の資本家地主やましてそれに及ばぬものが如何に貧乏しようとも、少数の信頼するに足る分子が夫によって増々繁栄を来しさえするならば、国家はビクともする必要は事実は何処にもないのだから、問題はこうした社会の健全分子の貧乏ではなくて、実は彼等の貧乏意識だけが困りものなのである。だから一等いけないのはこうした健全分子の内でも比較的純粋な自覚能力を持ったインテリの貧乏意識なのだというのである。失業問題なるものは実はインテリの失業問題だったのである。なる程初めから貧乏な人間がどんなに今更貧乏しても、「問題」になる筈はあるまい。
そこで失業問題の解決は大学や学校を卒業するインテリの就職問題に帰着するわけで、而も夫が更に大学や学校の教育問題に帰することになる。現代の形式主義的、非人格主義的、唯物思想的、非実際的な教育方針が、正に「失業」の原因だということが判ったのである。こうして「失業問題」は凡そ貧乏問題とは関係のない「学制改革」問題に転化する。社会の実情に即した、すぐ様社会に役に立つ教育をやりさえしたら、卒業生の就職難は一遍で解決するというのである。だから「失業問題」というのは貧乏問題でなくて教育精神の問題だったのである。
教育精神の問題をいくら具体化した処で、農村問題が出て来ないことは明らかだ。従って「失業問題」を具体化したものが農村問題だなどと思うと、途方もない計算違いになる。「農村問題」というのは農民[#「農民」に傍点]の貧乏問題と云ったような失業問題ではなくて、全く農村[#「農村」に傍点]の救済[#「救済」に傍点]問題なのだ。と云うのは、関東震災の時に製糸業者を国家が救済したり、神戸の鈴木が潰れた時に台湾銀行を救済したりした、ああいう意味での救済を、農民に対してはとに角、農村に対してやろうというのが「農村問題」だ。だから農村救済は農村の中小地主や中小資本家のために農村金融をしてやることだというようなことになる。無知な農民達は金融と聞くと、金を借りることばかりしか考えないが、そしてこの点に於ては「庶民金融」という掛け声を聞いて好い気持になる都会の庶民(市井人、即ち小市民)も農民と少しも変らないが、併し金融というからには金を貸すことの方が建前だということを考えて見なくてはなるまい。そうすると農村金融というのは農村に金を貸してやることであり、そればかりではなく、農村に金を貸させてやることでもあり、又更に金を貸す能力を農村に授けてやることでもあるのだ。金を借りる方は問題にならぬ、農民は問題ではないからだ。農村の中にあって、或いは農村に対して、金を貸すことの方が農村金融の、従って又「農村問題」の問題なのである。
失業問題が農村問題に変ったのは、貧乏という生活問題が、金融という金儲け問題に変ったことに他ならない。農村問題が農民の貧乏問題だなどと思うことは、失業問題が一般大衆の貧乏問題だと思うことと同様に、飛んでもない馬鹿正直な善良さだろう。
では農民の貧乏はどうして呉れるかと云うだろう。併し何遍も云うが、農民が貧乏するのは当り前ではないか。農民が貧乏しなかったら、彼等はもはや農民ではなくて地方地主や農村資本家だ。だから農民に就いてはその貧乏は問題ではない、丁度資本家に取って資本所有は初めから当然で問題にならないと同じである。農民に就いて問題になるのは、その貧乏ではなくて、ここでも亦専らその教育なのである。農村の農村問題は別として、農民の農村問題は「農村教育」問題なのである。問題は又しても教育精神にあるのである。
こうやって本当の「失業問題」は、インテリ教育や農民教育の、教育精神問題に帰着する。失業問題を貧乏問題だなどと考える徒輩は下根の到りで、「失業」の本質は神聖なる教育精神の欠点にあるのだ。それでこの頃、世間の人間の思想が、考え方が、前よりは余程精神的で高尚になって来たから、貧乏と云ったような唯物思想を連想させる処の失業問題が消滅して、農村精神の作興に興味集注する処の農村問題が、それに代ったわけである。
併し農村には云うまでもなく学校らしい学校も、大学もない、だから学制改革式の教育観と農村精神作興式の教育観との間にはまだなおギャップが横たわっている。政治家は云わば文部省と農林省との間のこの溝を埋めなくてはならぬ。この際、どっちをどっち側にまで移行させてアダプトさせればいいかは、一寸判らないわけだが、併し日本の兵士の内には農民が圧倒的に多数だという一つの事実が何よりも参考になるだろう。前内閣の枢軸をなしていた例の五相会議に於ける荒木陸相と後藤農相との関係を見れば、なぜ日本の兵隊がこの場合の参考になるかが判ると思うが、この関係から行くと、鳩
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