か医学博士には近よることさえ出来ないとか、不平を云っている意気地のない中間層や労農大衆の方が間違っているので医学博士にどんなに大資本が掛っているかを知らないから愚痴が出るのだ。医学は労農大衆や勤労大衆とは無関係に「発達」して行くのである。
医学博士製造は、こうした仲々年数もかかり価格も大きい投資の結果であるのだが、それも養狐場や養魚場のように、一目瞭然とした装置の下に行われると、誰も誤解をしないのだが研究室や教授会やと云った荘厳な[#「荘厳な」は底本では「壮厳な」]カムフラージの下で行われるから、世間はこの神聖な取り引きの目的をウッカリ見落して了うのである。そうかと云ってお花やお茶のように、内容のない無意味なキマリや型を伝授するごとに金を請求するのだとまだ判りがいいが、不幸にして医学はお茶や花より少しは科学的であるために、医学の家元は、そうした秘伝を授けることが出来ないので、その代りに研究のテーマを分譲したり、研究論文を審査したりするのである。だが、それにした処が、医学博士の家元である教授達が、お礼やつけとどけを受け取るのに何の不都合もないわけで、例えばお花の奥の許しを五十円で売買したと云って今更騒ぎ立てるのが変なら医学博士を五百円で売買した処で大して驚くこともあるまい。なぜなら、お花の師匠の招牌に較べたら、医学博士の招牌の方はたしかに十倍の価格には相当するだろうからだ。医学博士はインチキだというが、決してインチキ処ではない、実はこんなに実質があるのだ。
苟くも年俸や講座料や審査料を貰っている官立大学の教授たる以上、お花やお茶の師匠と同じである筈はないじゃないか、と世間の人は云うかも知れない、併し不幸にして医学部の研究室(独り医学部には限らないのだが)は人の想像するような合理的な処ではないのである。現に研究室は厳密な一種の封建制度の下に置かれている。研究室と研究室とは、二つの領主の領地と領地とのように対立し、外、学閥や時には閨閥のために尚武的攻主同盟を形成し内師弟関係の利害感情によって家庭的淳風を馴致している。「わが君様」の身辺にはお家の一大事に馳せ参ずる多数の内臣外臣が控えており、わが君様の教授会に於ける器量の如何によって、又その時々の御機嫌の如何によって「医学博士」はこの家臣達の頭上に落ちて来たり、はずれたりしようというものである。だからバカ殿様の道楽が釣りであれば釣り、刀剣であれば刀剣がその研究室を風靡するのだ。
「医学博士」の売買は全く、資本主義医学に於ける投資現象の一つに外ならないのだが、夫がこうした尚武的で淳朴な封建的デリカシーを以て蔽われているから、益々甘い商売なのだ。ただ長崎医大のように、封建領主間に学閥の対立があまりに尚武的であり過ぎると「医学博士売買」が切角被っていた淳朴な人情味タップリのデリカシーの皮がむけて、思わず勝矢博士如きのお家の一大事に及ぶわけで、これは決して他人事ではなく、他の医大や医学部もこんな思わぬヘマをしないように今後も益々用心しなければいけないのである。
二、華族の平民化
宮内省は六年目に宗秩寮審議会を開かなければならなくなった。竹内良一が岡田嘉子と出奔して華族の礼遇を停止されて以来六年目なのだが、今度の審議の内容はその量から云っても質から云っても、ずっと進歩している吉井勇伯夫人徳子(『中央公論』一月号に於ける直木三十五の紹介によると通称「おどん」)吉井勇伯自身、引いて柳原義光伯、近藤滋弥男令弟夫妻、久我通保男嗣子等々、舞台に登る役者の数も大分多いが「華族の体面」のけがし方も亦「おどん」氏の如き仲々尖端的で平民大衆共には一寸真似の出来ないものさえあるようだ。
だがよく考えて見ると、之等下情に通じた貴族達も別に大したことをしたのではなくて精々が、ブルジョア有閑分子や又は没落ブルジョアの定石を踏んだまでで、ただ華族の位置に止まりながら敢えてそれをやったということが変っているだけなのだから、宗秩寮の審議の結果、華族の礼遇を停止されたり、又は隠居させたりすれば話しは片づくのであまりに平民の(?)下情に通じ過ぎた者は、平民に払い下げるのが、何より適宜な処置だということは云うまでもない。
ただ心外なのは、こうやってどしどし「不良華族」の捨て場にされる平民が、宗秩寮によって箸にも棒にもかからないロクでなしと見做されたということだが、尤も同じく平民と云ってもブルジョアもあれば、プロレタリアもあるので、一概には云えないのだから、その点は安心だとして、併し何より心配なのは、こうやってどしどし「不良」でない華族が減って行きはしないかという点だ。
それでなくても華族一代制と云ったような消極的な思想が横行している世の中であり、最近武藤元帥の遺族の如きは男の相続人がないのを理由として、この思想
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