を実行した程だから「不良」でない華族は段々減って行く危険に曝されている。一体これは華族社会から見て、まことに悲しむべき現象ではないか。
 華族は普通の人間とは違った点があればこそ特別な礼遇を、即ち平たく云えば特権を持っているのであって、それも無線電信を発明したとか何とかいう普通人間の持ちそうな特異性によって普通の人間から区別されているのではないのだから、一体普通の人間がやるようなことをやったのでは、その特権の手前色々困る関係が出て来るのは当然だ。だのに心ない華族の或る者は彼等が元来藩屏であって普通の人間ではないことを忘れて、普通の人間であるかのような錯覚を起こす。誠に憂慮に耐えない傾向と云わねばならぬ。
 今日普通の人間世界ではエロティシズムの全盛である。夫が嘘なら最近着々として発禁になりながら而も着々として殖えて行く各種の「実話」雑誌の大勢を見るが好い。処がこういう「唯物思想」(?)の他方の片割れである「赤」はどうか。赤の陣営が全滅したということを耳にするが、そういう声は昔から何遍でも聞いたものである。之も嘘だと思うなら和仁大審院長以下七名が部下から赤い司法官を輩出した廉で最近懲戒訓告の処分を喰っているのを思い出して欲しい。
 処で不良華族のエロティシズムと平行して赤い華族が出始めた。即ちこの点でも亦、華族は普通の人間世界の真似を始めたのである。そこで治安維持法で起訴されるだろう華族の三子弟に対しては、例の宗秩寮審議会は除族乃至位記返上の処分を発表するだろうし、転向を誓って釈放された六名の者に対しては訓戒を加えるだろうと報じられている。読売新聞(十二月二十二日付)によると「これは今回の『華族の体面を汚辱する失行ありたる者』という単なる華族の素行上の問題とは異り、いやしくも皇室の藩屏として御信任厚き身でありながら、国体を否定する如き思想、行動に入ったという処にその問題の重大性が」あるのだというのである。華族が突飛な真似をすることが如何にいけないことかということが、この問題になると愈々明らかになって来ただろう。
 一体世間ではどうもまだ治安維持法に触れるということが本当に道徳的に悪いことだということを得心していないようで、全く困ったものである。どこここの官立大学の学生が治安維持法違反の嫌疑で検挙されたとか、召喚されたとか、甚しいのになると御丁寧にも検挙される予定だとかいう、事実記事や予報記事までがあまりデカデカと新聞に載り過ぎるので、世間ではそんなものは日常茶飯事だというように思い込んで了う。
 併し本当を云うと、治安維持法に触れるということは、道徳上最も悪いことなのだ、その理由は云わなくても判っているだろう、普通の人間世界ですでにそうなのである、平民にしてからがそうである。それに華族ともあろう者が何か普通の人間の真似をするにも程というものがあるのだ。「不良華族」の除名によって華族らしい華族の数が減って行くばかりではなく「赤色華族」によって華族の質が変って行くようになりはしないかを、私は心細く思わざるを得ない。
 だが最後に、この憂鬱な傾向に、一条の光明を齎らした処の、一つの美談をつけ加えておかなければならぬ。例の起訴された三人の華族の子弟の一人公爵岩倉具栄氏の令妹靖子嬢は保釈中自宅の寝室でいたましくも剃刀自殺を遂げたのである。新聞が報道する処によると、名門の名をけがした自責の念の余り「反逆の血」を死を以て清算したのであって、華族界に対する一服の清涼剤として当局も意義深く感じつつ死そのものに対してはむしろ同情しているそうである(読売新聞十二月二十三日付から引用)。之によると案外にも、まだまだ安心の出来るようなしっかりした人物がいるらしく、そう心配することはあるまい。

   三、武士道と百姓道

 荒木大将(当時は中将)が陸軍大臣になった時、最も興味のあるエピソードの一つだったのは閣下がいつもサーベル(指揮刀)ではなしに軍刀を腰にしているという話しだった。之は武士道[#「武士道」に傍点]を片時も忘れないという意味だそうで、即ち治に居て乱を忘れない精神の現われだそうである。もっと正確に云うと、一九三二、三年頃から一九三五、六年のことを考えているという精神であって、即ち非常時精神の表現なのである。
 尤も非常時と云っても、初めは右翼思想団の直接テロ行動が頻発して困るという時代相を指すのかと思っていると、実はそれよりも待ちに待たれる一九三五、六年が近いということを意味するらしいので、こうなると一体非常時というものは善いものなのか悪いものなのかは判らなくなるのだが、その善し悪しには関係なく兎に角非常時は非常時なので、それが荒木陸相の真剣なる軍刀となって現われたのである。
 その後東洋哲学が誠に急速な進歩を遂げると共に、陸相の軍刀が象徴す
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