それで判るようになったかと思うと、そうではなくて、事柄は却って益々判らなくなって来たのである。
陸海軍の青年将校や士官候補生が、犬養首相を××××、警視庁や立憲政友会本部や日本銀行を襲撃したとか、又常人側の行動隊が変電所を襲ったとかいうような報道は、その当時、人々が既に知っていたことで、誰と誰とが何をしたとか、手榴弾や拳銃をどうやって手に入れたとか、云ったような「具体的な事実」を今更報道して見た処で、五・一五事件なるものの真相が具体化されて報道されたことにはならぬ。世間が知りたいのは、そんな末梢的な「事実」ではないので、この事件の本当の背景と、その背景と本件との具体的な関係なのだ。
所謂「五・一五事件」なるものが、決して昨年の五月十五日に起きた事件だけを指すのではなくて、例の日召等の「血盟団」と密接な連絡があったことは、相当明白に公表された。所謂「五・一五事件」は、決して単なる五・一五事件でなかったことが判る。だが、五・一五事件+血盟団事件が五・一五事件の「全貌」かと思うと、どうもそうではないらしい。
五月十八日付東京朝日新聞の社説は云っている。「事は昨年五月十五日に突発したのではなくて、早く井上・団・両氏の暗殺にもつながり、更により以前にさかのぼれば、流言蜚語として一部に伝えられたる事すら、全く根もないことではなかったのではないかと思い当らしむるものがあるのである。」井上・団・暗殺事件というのは今云った血盟団の仕事のことであるが、それ以前に、流言蜚語として一部に伝えられたものが何だかに就いては、吾々良民は一向見当が付き兼ねる。
所謂五・一五事件なるものは、単なる五・一五事件でないばかりではなく、五・一五事件+血盟団事件だけでもないらしい。処で之を「五・一五事件」[#「五・一五事件」は底本では「五一・五事件」]として、或いは已むを得なければ「五・一五+血盟団事件」として、孤立させて発表するのには、当局に何かの都合があることだろう。この当局の都合も顧ずに、五・一五事件の全貌[#「全貌」に傍点]が発表されたとか何とか云って騒ぎ立てるのは、甚だ思いやりのなさすぎることではないか。
もし思いやりがなさすぎるのでなければ思いやりがありすぎることなのだ。
この事件が「発表」されたという事件に就いて、判らない点はまだまだある。新聞紙が伝える処によると、この「発表」の仕
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