ものに他ならぬが、人間のこの実際生活を助けるものが真理ということである。即ち真理とはこの意味に於て有用、有益、有利な手段であって、道具の如き性質を有つと考えられる。但し注意すべきは、この主張が決して、何によらず都合のよいものでさえあれば真理であるという結局真理否定に他ならぬ一種の懐疑論ではないということである。主観の得手勝手な都合に一致するということは何等真理を意味しない。何故ならそうした全く主観的な態度を以てしては実際上決してやって行けないからである。従ってジェームズが真理を生活に有用なものと規定する場合の生活とは人間の社会的な実際生活のことでなければならぬ。この社会的生活を実際的に促進させる用具が真理というものだというのである。彼によれば真理とは、「吾々の経験のどれか一部から他の一部分へ、吾々を成功的に持って行って呉れるような一切の観念」のことだと主張する。彼によれば、このような真理でなければ「実在を変革する」ことは不可能だというのである、つまり実践的な真理ではないというのである。
 プラグマティズムに於ける卓越した観点は、真理のこの実践性への着眼にある。その意味に於ける真理の道具性、有用性を強調した点にある。しかしこの実践の観念は、それが個人的な主観的主体の実践ではなくて社会的な(その限りでは)「客観的」な人間の社会生活に於ける実践であるにも拘らず、本当は客観的な性質を有っていない。と云うのは、真理が実践的に実在を変革するためのものだと云っただけでは、その実在とこの真理との関係は一向判っていないわけで、もし真理がこの実在に基く(それの模写や反映として)のならば、それは唯物論になるわけだし、そうでないとすれば結局この実在なるものが何を意味するかが判らなくなる。唯物論でないとすれば少くともこの実在は客観的ではない。そうすればこの実践性=真理性は何等客観的な実在との関係に於いて客観的であることは出来ず、単に人間の主観相互間に社会的な合致があるという意味で客観性を有っているにすぎない。夫は要するにインターサブジェクティヴ(主観相互的)なもので結局主観的なものにすぎぬ。夫故プラグマティズムによる真理は、其実践性にも拘らず、主観主義のものであらざるを得ない。真理が道具であり有用性であるという事も、結局インストルメンタリズムや、便宜的功利主義のもつ主観論を脱することは出来ぬ。
 それ故プラグマティズムは、真理に就いて(又その哲学観全般についても)自から称する通り、相対主義なのである。真理は絶対的なものでなく人間社会に即して人間的に(「人本主義」)相対的なものに過ぎないという。世界乃至宇宙も、亦、絶対性を有たず即ち唯一性(一元性)を有たず、多元的な宇宙として相対化されねばならぬという。之は云うまでもなく真理なるもの又実在なるものの観念を無理に強制するものであって、真理の実際性を強調するに際して、その実際性・実践性なるものを初めから客観的実在と無関係に規定し得ると思ったことから発生した処の、避け難い不始末だったのである。
 ジェームズが好敵手として選ぶ者はヘーゲルの哲学、その体系・形而上学・絶対主義である。彼によればヘーゲルの範疇組織というものほど真理としての有用性を欠いたものはない。哲学は閉じた体系ではなくてどこまでも閉じることのない方法でなければならぬ。従って夫は何等の形而上学(閉じた体系)でもあってはならぬ。かかる絶対主義を結果する所以はヘーゲルに於いてのように正に、主知主義に存する。知識を実際的行動なるものから引き離して夫から出発するが故に、知識自身が少しも実際的なものとして把握出来ないばかりでなく、知識が実際的行動の一部に過ぎないという点が、遂に見失われるのだという。この反主知主義はイギリスの経験論に由来する処の少くないのは云うまでもないが、認識と生活とに関する進化論的思想に基く処が極めて多い。現に同じく進化論に由来するマッハの思惟経済説は一種のプラグマティズムに数えられているのである。場合は可なり異るが、同じ仕方でニーチェも亦一種のプラグマティストに数えられ得る。
 ジェームズのプラグマティズムを発展させたものはアメリカのデューイ(J. Dewey)とイギリスのシラー(F. C. S. Schiller)とである。前者はジェームズに於けるインストルメンタリズム(道具主義)を徹底し、後者はその人本主義(ヒューマニズム)を誇張する。シラーによれば「人間は万物の尺度」である。(プロタゴラスのこの懐疑論的命題は近代ブルジョアジーの能動的命題となった。)かくてプラグマティズムに於ける主観論、観念論は次第に露骨となりつつある。
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参考文献――James, W., Pragmatism, 1907; Dewey, J., Reconstruction in philosophy, 1920; Schiller, F. C. S., Studies in humanism, 1907.
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[#中見出し]マッハ エルンスト Ernst Mach(一八三八―一九一六)[#中見出し終わり]
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 オーストリアの物理学者(数学者)、感覚生理学者にして哲学者。キルヒホフ(Kirchhoff)に酷似した現象主義(実証主義の一規定)が彼の思想の一つの特色をなす。人間の感覚は同時に「世界の要素」であり、この感覚の結合を離れて世界がそれ自体にあるのではないという(所謂マッハ主義)。例えば原子も実在性を有つのではなく、単にかかるものを思惟することが思惟のエネルギーを経済的にするが故に、初めて原子を思惟することも真理であり得ると考える(思惟経済説)(この点プランク(M. Planck)との論争が歴史的)。併しマッハの最も優れた他の一つの特色は、自然科学に関する歴史的認識の意義を重大視したことにある。之は進化論の思想を介して、向《さき》の思惟経済説と現象主義とに結びついているが、物理学の理論的歴史をこの立場から書き得たことは恐らく彼の永久の功績である。
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主著――Die Geschichte und die Warzel des Satzes von d. Erhaltung d. Energie, 1872; 〔Die Prinzipien d. Wa:rmelehre〕, 1886; Die Mechanik in ihrer Entwicklung, 1883; Die Analyse d. Empfindungen, 1885; Erkenntnis und Irrtum, 1905.
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[#中見出し]模写説 モシャセツ 【英】Imitation−theory【独】Imitationstheorie, Abbildtheorie.[#中見出し終わり]
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 一般に認識は、客観的実在の主観乃至意識による写し(コピー)(模倣・反映)であるという認識理論を指す。唯物論による認識理論は之に立脚する。観念論哲学の多くの場合は、之を客観的実在をそのまま一遍に全部的に模写し終ることが認識であるという主張だとして説明しているが、この説明には説明者自身の方からの誤った独断が※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されている。実在は一遍にはその全貌をありのままに写され得ないことは明らかであり、もしそうでなければ認識の進歩発達ということはあり得ないことになる。この独断に立脚する者は、その条件を具えた限りの模写説が立脚する処の唯物論を素朴実在論と呼び、之れを最も常識的で非哲学的な認識論に立つ哲学体系だと主張するが、かかる「模写説」もかかる「素朴実在論」も、本来の模写説と本来の実在論(即ち唯物論)とからは、かなりかけ離れたものなのである。
 唯物論の認識論としての本来の模写説は、実在が意識によって全体的に一挙に模写し尽せるものとは考えず、常にその模写作用の歴史的過程に注意を集中する。之によれば、客観的実在は、まず第一に、感性(感覚乃至知覚)によって捉えられる。だが無論之はまだ実在の全部を捉えたのではない。感性は経験の最も端初的な形態であるが、経験の歴史的蓄積と整頓とはやがて理論を生みいだす。之が普通悟性乃至理性の仕事と考えられているものである。理論は経験から経験的に発生したものであるが、併し一旦理論という形にまで経験的に抽象された以上、この理論はその後の経験の指導に当ることが出来る。経験の一つ一つは其後と雖も無論理論的なものではないが、そういう経験が進行する軌道を導くものが理論であるので、そうでなければ理論は経験から区別される理由を見出し得ない。理論的な原則・原理が経験的なものでないと考えられ、従って先天的乃至先験的なものと考えられ易い所以である。
 故に模写とは常に認識構成の過程に即してしかあり得ない。処がこの認識構成の原動力は、それが感性から始まった通り、思考的なものではなくて実践でなくてはならぬ。処で実践は感性から始めて実験・産業などの内容を含んでいる。その意味に於ける実践を媒介として初めて認識は成立、発達するのであり、そしてそれが実在の模写ということである。併し模写説は元来特別な認識理論を意味するのではなく、寧ろ認識ということは模写ということに他ならないという、一つの端的な事実を云い表わすに過ぎない。認識は無論真理でなければ認識ではない、処が真理ということは実在がありのままに捉えられた状態を云うのである。実在をかくありのままに捉えるという直接性を云い表わすべく、原物が何物の介在をも許さずに直接に鏡面上に像を結ぶことで之を喩えたわけである。認識という観念の意味は常に、写すということである。そしてこの写すということの実際が実践に俟つのである。
[#改段]


[#1字下げ][#大見出し]2 『教育学辞典』[#大見出し終わり]


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[#中見出し]イデオロギー 【独】Ideologie【仏】〔ide'ologie〕【英】ideology[#中見出し終わり]
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 【意義】 観念形態と訳す。この観念は異様な変遷と変化とを有っている。
 (一)[#「(一)」は縦中横]語の起りはフランスのデステュット・ド・トラシー A. L. C. Destutt de Tracy(1754−1836)やカバニス P. J. G. Cabanis(1757−1808)等の観念学(イデオロジー 〔ide'ologie〕)にある。観念学によればあらゆる問題は観念哲学的研究に基いて解決されねばならぬと考えられ、観念の起原発生を感覚論的に研究することが哲学的方法と考えられた。この学問は感覚論的である限り一種唯物論的な特色を有っていたが(コンディヤック 〔E'. B. de Condillac〕 の感覚論から由来する限り)、併し他方例えばメヌ・ド・ビラン Maine de Biran(1766−1824)の内部的人間学へ連なるものを有っている。と云うのは、問題の出発点が観念の問題に限られ、事物を観念の関係に於て処理しようとする結果、問題の解決自身が観念的となり、即ちまた観念論的とならざるを得なかったのである。その結果、この学問によって、事物は現実的に解決される代りに、哲学的な単なる言葉によって解決されるという弱点を将来することとなり、空疎な言辞と大言壮語の類がイデオロジーだと考えられるようにさえなった。同時に哲学的空言家がイデオローグ 〔ide'ologue〕 と呼ばれるようになった。ナポレオンがデステュット・ド・トラシを「イデオローグの巨頭」と呼んだことは有名である。以上は十八世紀のフランスのイデオロギーであるが、哲学的空言という意味のイデオロギーなる語はやが
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