bであり従ってまた社会の歴史的発展の終局的な動力を含むものは社会の物質的な生産関係[#「生産関係」に傍点]である。これは社会に於ける物質的生産力[#「物質的生産力」に傍点]が一定社会に於て受け取る形式であって、普通経済機構と呼ばれるものに相当する。社会のこの現実的地盤の上に、社会のこの下部構造[#「下部構造」に傍点]の上に、上部構造[#「上部構造」に傍点]としてイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]=観念形態[#「観念形態」に傍点]が成立するのである(法律・政治・道徳・科学・哲学・芸術)。下部構造は上部構造との間に交互作用を営んで互いに規定し合うに拘らず、終局に於て下部構造が上部構造を規定する。以上は社会の静的構造であるが、この同じ社会構造が又社会の動的展開を惹き起す。物質的生産力は終局に於て個人乃至人間の意志とは独立に客観的に発達して行く必然性を有っているが、その発達の結果、この生産力が旧来の生産関係と矛盾に陥る。かくて社会の生産関係は生産力の発展の形態から、その桎梏へと逆転する。生産力の発展はこの桎梏を打開して新しい生産関係を自分に適した形式として造り出す。かくて社会の基礎構造は、矛盾と矛盾の克服との機構によって、必然的に変革される。これに従って、上部構造も亦変革されざるを得なくなる。これが社会の歴史的発展なるものに他ならぬ。
これに関係して注意すべき第二の点は、社会科学が社会の歴史的発展の必然的法則[#「必然的法則」に傍点]を与え得る唯一の社会理論だということである。尤もここで云う法則とは単なる自然法則とは異って社会の歴史的発展と共にそれ自身も亦発展し具体化して行く法則であり、そして必然的と云っても機械的な必然性ではなくて正しい偶然性を貫いて自らを活かして行く弁証法的な必然性のことをいう。更に之に関して第三の要点は、社会科学的な社会の歴史的発展の必然性の認識が、当然社会人の社会的行動・実践[#「実践」に傍点]の客観的科学的な有効な具体的指針を与え得るということである。ここで理論[#「理論」に傍点]と実践[#「実践」に傍点]とが不離の関係に立つ。実践のない処には歴史的社会はあり得ないから、歴史的社会の科学的認識は同時に実践の客観的な内容となるのは当然である。それ故社会科学は、無産者による社会革命、プロレタリアの独裁的支配という綱領にまで具体化される科学的社会主義[#「科学的社会主義」に傍点]・科学的コンミュニズムとなり、又この観念がプロレタリアのイデオロギーとなる。かかる階級性[#「階級性」に傍点]乃至党派性[#「党派性」に傍点]は、例えば社会学や歴史哲学が決して自覚[#「自覚」に傍点]し得ない点である。
[#ここから1字下げ]
文献――E. R. A. Seligman[#「E. R. A. Seligman」は斜体] (ed.), The Encyclopaedia of the Social Sciences, Vol. ※[#ローマ数字1、1−13−21], 1930. K. Marx[#「K. Marx」は斜体], Zur Kritik der politischen Oekonomie, hrsg. von K. Kautsky[#「K. Kautsky」は斜体], 1924(河上肇・宮川実訳『政治経済学批判』昭和六年); Das Kapital, 3 Bde., 1867−94(高畠素之訳『資本論』新改訳版昭和二―三年)。F. Engels[#「F. Engels」は斜体], 〔Herrn Eugen Du:hrings Umwa:lzung der Wissenschaft〕, 11[#「11」は上付き小文字] 1921(長谷部文雄訳『反デューリング論』二巻、昭和六―七年)。ミーチン・ラズウモフスキー監修『史的唯物論』(広島定吉・直井武夫訳、昭和九年)。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
[#中見出し]社会哲学 【英】social philosophy【独】Sozialphilosophie【仏】philosophie sociale[#中見出し終わり]
[#ここで字下げ終わり]
【意義及び歴史】 この言葉は少くともトーマス・ホッブズ T. Hobbes(1588−1679)にまで遡る。フランスではデュロソア Durosoy(1745−92)の著書にまで遡るという。今日に至るまでその一定の明確な内容規定は与えられていない。結局は、社会・社会問題・社会生活等々に就ての先験的・超越的・形而上学的・思弁的、其他の研究・考察の謂いだと一応考えてよい。例えばグンプロヴィチ L. Gumplowicz(1838−1909)(『社会哲学綱要』)によれば、社会を実証的に考察するものは社会に関する科学としての社会学であるが、之に反して社会を先験的・超越的に考察するものが社会哲学だと考えられる。社会が如何なる意義[#「意義」に傍点]をもち、何のために[#「何のために」に傍点]あるかをそれは省察する、一切の社会事象のあり得べき理性的な結果・目的を問題とするのが社会哲学であるという。元来今日社会学と呼ばれる科学は実は社会哲学が科学的に純化限定されて発生したものであるから、その限り社会哲学は社会学と直接の繋りを持っているが、併し現在では社会学なるものの性質は多くの異説があるにも拘わらずほぼ共通な科学的特色を有っている(形式社会学はこの特色を最も露骨に代表する)。ところが所謂社会学者の内でも優れた学者の多くは、多少とも社会哲学的な根柢を持っているのである。社会学という言葉と概念とを提唱したと一般に云われているコント、之を受け継いだスペンサー、之をアメリカに於て発展させたウォード L. F. Ward(1841−1913)等は、その社会的洞察が包括的で統一的である点で社会哲学者に数えられていい。ホッブハウス L. T. Hobhouse(1864−1929)の形而上学的社会理論、ルードウィヒ・シュタイン L. Stein(1859−1930)の哲学的社会問題の取扱い、テニエス 〔F. To:nnies〕(1855−1936)の主意説的な社会分析、ミヘルス R. Michels(1876−1936)やグンプロヴィチの社会生活の根本問題の検討、リットやフィアカント A. Vierkandt(1867−1953)其他の現象学的社会学、ウォルムス R. Worms(1869−1926)の『社会科学の哲学』、バルトの『社会学としての歴史哲学』など、いずれも社会哲学の名に値いし或は自らかく名乗る処の社会学[#「社会学」に傍点]に属する。
併し社会哲学はその名の示す通り、一種の哲学[#「哲学」に傍点]或は哲学の一部門に他ならぬという意味を有つ。古来有力な哲学の殆どすべては必ず社会に関する哲学部門をその体系の重大な部分として有っている。プラトンの国家・政治理論、アリストテレスの政治学・国家論・倫理学を始めとして、近世ではホッブズの『レヴィアサン』(Leviathan, 1651)、スピノザの政治論、ロック・モンテスキュー de Montesquieu(1689−1755)・ルソー等の政治思想を経てカントの『永遠平和のために』(Zum ewigen Frieden, ein philosophischer Entwurf, 1795)やフィヒテの『封鎖商業国家論』(Der geschlossene Handelsstaat[#「Handelsstaat」は底本では「Handelstaat」], 1800)に到るまで、社会哲学は著名の哲学の大部分を一貫している。特にヘーゲルはこの点で重大な位置を占めているので、そのブルジョア社会と国家の理念とに関する説は社会哲学の典型と見做されてよい。現代ではシュパン O. Spann(1878−1950)が全体性[#「全体性」に傍点]に基いた範疇論に立脚して全体主義的社会哲学を代表し、シェーラーは生命論的で且つ精神主義的な社会生活の形而上学を試みている。
又社会哲学は歴史哲学と不離な関係に立っている。蓋し社会は現実には歴史的社会であり、人間の社会生活は取りも直さず人間の歴史に他ならぬからである。歴史哲学という言葉を最初に使ったと云われるヴォルテール Voltaire(1694−1778)の理念は、ヘルダーの人間史の哲学の理念となって今日に到るまで展開されているが、この系列に属する所謂「歴史哲学」は何れも同時に社会哲学の名に値いする。一方ヴィーコ G. B. Vico(1668−1744)は歴史哲学の始祖に数えられるが、其系統に属する現代の社会科学者には社会均衡論の代表者パレート V. Pareto(1848−1923)がいる。多少評論家風の歴史哲学的な社会哲学者を挙げるならばシュペングラー O. Spengler(1880−1936)が代表的である。なお歴史哲学を一般化して広く生の哲学者に及ぼし、又評論的な傾向を押し拡めて文学的な思想家に及ぶならば、今日ニーチェは社会生活の哲学にとって重大な地盤を提供すると見られている。
歴史哲学に直接関係あるものは社会思想乃至広義に於ける社会主義である。デモクラシー・ファシズム・共産主義・無政府主義・科学的社会主義の主張乃至研究は、社会哲学の最も重大な且つ略※[#二の字点、1−2−22]《ほぼ》共通な内容をなす。カント主義に属する社会理想主義として、ナトルプやシュタムラー R. Stammler(1856−1938)の社会哲学があり、カント的マルクス主義(オーストリア・マルクス主義)にはアドラー M. Adler(1873−1937)やレーデラー E. Lederer(1882−1939)の社会哲学がある。クーノー H. Cunow(1862−1936)はラサール的な傾向を持ったマルクス主義的社会哲学者である。併し厳密に云えば、マルクス主義的社会理論たる唯物史観=史的唯物論は、決して歴史哲学ではなかったと同じに又決して社会哲学の名に適しない。現にそれは社会哲学や社会学から区別されて社会科学と呼ばれていることからもこれは明かである。併しその内部に最も優れた社会哲学的見地が潜んでいることは忘れてならぬ事実である。
なお、政治学や社会学は云うまでもなく、経済学、特に古典経済学も亦一種の社会哲学から発生したことを忘れてはならぬ。ケネー F. Quesnay(1694−1774)もスミス(アダム)も社会に於ける人間の本性の研究から出発している。現代経済学者で社会哲学に親しいものとして例えばマクス・ウェーバー M. Weber(1864−1920)を挙げることが出来る。
【教育的意義】 以上のように社会哲学なるもの乃至社会哲学的な要素は、特色ある殆ど凡ての社会理論の中核の一つをなしていると云っていい。したがって今教育が社会理論の一対象となる限り、あらゆる社会哲学が夫々教育に就ての一定のイデーを示唆することが当然である。プラトンによる哲人政治家の教育の理想(彼のアカデメイアやシラクサの学校やはこの理想の実現を目的とした)はその古典的な典型であろう。ルソーの自然主義的教育理論は勿論、彼の固有な社会文化理論にもとづいている。又例えばフーリエ F. M. C. Fourier(1772−1837)のコンミュニスト的ファランジュ phalange の試みは、幼稚園の起原の一つに数えられている等々。更にまた二十世紀の教育理論は社会学的・社会哲学的な基礎の上に立つことを特色としている。ナトルプの『社会的理想主義』やデューイの教育理論は今日の代表的な社会哲学的教育説と見做されている。社会学の成果を教育乃至教育学に適用した教育的社会学なども、元来社会哲学的観点に立っているが故に発生したものに他ならない。
[#ここから1字下げ]
文献―L. Gumplowicz[#「L. Gumplowicz」は斜体], Sozialphilosop
前へ
次へ
全20ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング