性、有用性を強調した点にある。しかしこの実践の観念は、それが個人的な主観的主体の実践ではなくて社会的な(その限りでは)「客観的」な人間の社会生活に於ける実践であるにも拘らず、本当は客観的な性質を有っていない。と云うのは、真理が実践的に実在を変革するためのものだと云っただけでは、その実在とこの真理との関係は一向判っていないわけで、もし真理がこの実在に基く(それの模写や反映として)のならば、それは唯物論になるわけだし、そうでないとすれば結局この実在なるものが何を意味するかが判らなくなる。唯物論でないとすれば少くともこの実在は客観的ではない。そうすればこの実践性=真理性は何等客観的な実在との関係に於いて客観的であることは出来ず、単に人間の主観相互間に社会的な合致があるという意味で客観性を有っているにすぎない。夫は要するにインターサブジェクティヴ(主観相互的)なもので結局主観的なものにすぎぬ。夫故プラグマティズムによる真理は、其実践性にも拘らず、主観主義のものであらざるを得ない。真理が道具であり有用性であるという事も、結局インストルメンタリズムや、便宜的功利主義のもつ主観論を脱することは出来ぬ
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