w力等の内容として倫理的に意味づけられた限りの解釈された実践にすぎないからである。フィヒテの実践が結局考えられた実践でしかないことは注意されるべきである。それに、晩年のフィヒテが純粋自我を絶対者として前弁証法的なものと看做し、弁証法を単に之の哲学体系に於ける叙述にすぎぬと考えたのを見れば、彼の弁証法は存在(フィヒテは初めこの概念を避けるために事行という言葉を造ったのであるが)の側にではなくて単に哲学的方法の側にのみ行われ得るものとさえなるだろう。そうすればフィヒテの弁証法が愈々主観的であったことを暴露して来る。
 併し浪漫派の思想にとって欠くことの出来ないものは自然の概念である。専ら主観を主題としたフィヒテの知識に対して客観(自然)を主題とするシェリングの自然哲学がその権利を要求したのは当然そうあるべきであった。分極を通じて自然の内容は順次にその勢位を高める、之がシェリングに於ける弁証法的なるものである。併し所謂自然哲学時代のこのシェリングはやがてそれが本来落ち付くべきであった場所に、同一哲学に、移り行かねばならなかった。差別が直接に何等の媒介なく取りも直さず同一であるという関係は、正
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