ナ超越的に使用されれば、かの仮象が生じるのであったから、弁証法とは茲では、理性が完全には独立性を有ち得ない、ということを言い現わしているものに外ならない。もっと限定して云えば、弁証法とは形式論理の論理としての完全なる独立性を否定することである。それであればこそ弁証法はカントに於て先験的論理学(形式的一般論理学に対して)の内に属している、そして、実際先験的論理学とは感性と理性との結合の(独立のではない)理論であった。それにも拘らず弁証法が先験的論理学の消極的な部分に止まらねばならなかったのは、論理の独立性の否定がまだ、論理自身の内に論理性の否定である矛盾が含まれるという形に於て意識されるまでに至らず、矛盾は全く論理外にあるべきものとして単純に斥けられて了ったからであり、要するにカントの先験的論理学はまだ弁証法的論理学にまで行かなかったからである。実際彼の先験的論理学の中心概念たる範疇はなおまだアリストテレスの判断表からの引用に外ならず、その限り先験的論理学(この存在の論理学すら)はまだ形式的論理学の支配を脱却していないのである(弁証法を分析論と区別して使うカントの用語も亦アリストテレスに
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