カ在自身が弁証法的であるならば、その存在は仮現の世界であってまだ真の存在界には属さないであろう。イデア自身は、であるから到底弁証法的ではない。かくてプラトンの弁証法はかの主観的弁証法に属する峻峯でなくてはならない。夙に対話篇的な労作を脱して実証的な諸材料を科学的に整理しようとしたアリストテレスは併し、プラトンの理論のもつ弁証法の意義を、単に学問の準備的手段・思惟の訓練と論争との手段に過ぎぬものにまで堕した。プラトンの主観的弁証法が積極的であるならばアリストテレスの夫は消極的と呼ばれて好い(積極的と消極的とのこの区別は後に夫々、ヘーゲルとカントとの弁証法に就いても一応通用するであろう)。
以上の一連の主観的弁証法に対して客観的弁証法を取ったものは、新プラトン学派の最後の代表者プロクロス(Proklos)であるように見える。師プロティノス(〔Plo^tinos〕)によれば真の存在たる神性は一者であり、この一者が形相(形式)から初めて質料に至るまでの凡ての範疇をば自らを損ずることなく分出するのであり、而もこれ等諸分出は終に一者の内を出ないのであるから結局一者への復帰を意味する。かかる一者の
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