の信望は日に日に大となりつつあったのである。一八一二年に再び『道徳論の体系』を書いているが、以前の道徳論と比較して宗教的色彩が濃いことは云うまでもない。個人の性格は団体へ関与することに於て初めて成り立ち、団体意識こそ真の道徳的意識である。義務や当為は従前とは異ってもはや道徳の内的本質ではなく、その根柢には之を規定するものとして愛が横たわっていると説かれている。――フィヒテの知識学の諸叙述が次第に論理的なものから宗教的なものに移行して行ったことは興味ある事実でなければならない。従って始め当為や努力の裡に考えられていた意志の弁証法は、後に到ってはもはや現実自身のもつ規定ではなくて絶対者たる現実に関する体系的叙述のみが有つ規定にまで限定されたことは注目に値する。――祖国のために全力を挙げていたフィヒテは、ベルリンの衛戌病院に特志看護婦として働いていた忠実な妻がチブスで倒れて間もなく、妻の病気が伝染して死んだ。
カント自身は夫を承認しなかったが、フィヒテは初め自分の哲学が全くカント哲学を原理によって組織化するものに外ならぬと信じていた。この組織・体系の概念はヘーゲルの観念論の体系に到って最も
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