への我々の信仰の根拠に就いて」にも現われた。処が彼は、この論文が無神論を説くものであるという理由で、フォルベルクと共に訴えられ、かねての同僚との不和や政府に対するフィヒテの強情も手伝って、一七九九年彼はイェナ大学の教職を失い、ベルリンに移ることを余儀なくされた。之がフィヒテの無神論争と呼ばれるものである。一八〇〇年『人間の招命』(Bestimmung des Menschen)、『封鎖的商業国家』(Der geschlossene Handelsstaat[#「Handelsstaat」は底本では「Hanhelsstaat」], ein philosophischer Entwurf als Anhang zur Rechtslehre)を書く。前者に於て吾々は、彼の『知識学』の中に、平素の宗教哲学的研究が如何に次第に実を結びつつあるかを見ることが出来る。一八〇四年以降の彼は新約のヨハネ書の研究によってこの傾向を愈々著しくした。一八〇四年の『知識学』によれば従前の知識学に出ていた自我の概念はもはや単に倫理的な努力という規定を持つものではなくなって宗教的な諦観の色彩を以て描かれている。自
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