リ法は、概念の独立な(事物そのものからは独立した秩序界にぞくする処の)運動の法則となるのである。論理はかくて論理それ自身として他の一切の事物から独立化する。そうすれば、現実の事物も亦、この体系から云えば論理そのものの自己発展の所産だということにならざるを得ない。これは明白すぎる形をとったカリケチュア化したナンセンスだが、このナンセンスの一つの内容が例の有機体説だったのである。
 それは当然なことなので、事物の動きを云い表わす概念ではなくて、概念それ自身としての概念であるならば、正反の総合としての合は、無条件な全体でなくてはならぬ。即ち凡ての対立や矛盾はそのままで組織されたことになり、論理的な有機体が出現する他はない。なぜなら純論理的に、即ち概念そのものの解釈だけから云えば、合の内には常に正と反とがそのまま這入っているのであり、従ってそうである以上、何と云っても正と反とは調和ある妥協を保っているに相違ないからである。
 ヘーゲルの弁証法的論理は、だからまだ純然たる弁証法ではない。そして先に、論理学が弁証法的である必要があった以上、この観念的弁証法は論理学として決して充分ではあり得ない。解
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