塔gの論理学に於て欠けていた課題は歴史学の方法の問題であって、カントは多くの代表的な同時代者と同様に、科学一般の典型を自然科学に於てしか見なかった。そこを補ってカントから来る文化理論を論理学に結びつけたものが、この歴史学の方法論であった。(ヴィンデルバント、リッケルト、ラスク等。)――かくて新カント学派によれば、先験的論理学は、内容から云って認識論乃至科学方法論・乃至科学論と呼ばれることになる。(この「認識論」の意味については後に。)
 西南新カント学派はH・ロッツェの『論理学』(特にその「認識に就いて」の部分)に由来している。ロッツェは判断の問題を、判断の対象の内に求めた。ここで注目すべきは判断が心理的判断作用というようなものから問題にされるべきではなくて、そういう主観的な観点に立つ代りに、客観的な立場に立って、判断の対象に論理学の最後の目標をおいたということである。従来の多くの近代的論理学が云わば主観的論理学であったのに対して、之は客観的論理学となる。この立場は云うまでもなく前述の新カント学派の凡てを貫いている。
 最も徹底した客観的論理学は、B・ボルツァーノ[#「B・ボルツァーノ
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