たドイツの有力な哲学者であり、独逸観念論の典型的な代表者と看做される。ザクセン州のランメナウの貧しい織紐工の息子として産れ、道徳的・宗教的情操の持主であった。年少にしてレッシング(G. E. Lessing)やクロップシュトック(F. G. Klopstock)、ルソー(J. J. Rousseau)等に影響され、人間社会の良き教師となることを希望した。一豪族の援助によって一七八〇年イェナ大学に入り神学を専攻の傍ら言語学、古典学等の研究に従い法律学には特殊の興味を有った。後ウィッテンベルクを経てライプツィッヒ大学に転じチューリッヒでは家庭教師となる。フランス革命に際会し、モンテスキュー(Ch. d. S. Montesquieu)やペスタロッチ(J. H. Pestalozzi)から動かされ、又ゲーテ(J. W. v. Goethe)やウィーラント(C. M. Wieland)等の詩人に傾倒した。併し自ら詩才に乏しいのを知って斯の道を断念した。未来の忠実なる妻ラーンを得たのはチューリッヒに於てである。
 一七九〇年私講師としてのフィヒテは一学生からカント哲学の講義を求められ之を機会とし
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