フ生産技術なるものが何かに就いては、多くの異論があるのである。観念論的な哲学者や文明批評家達は、概して人間の理性が一定の実際生活上の必要を目標として目的論的に切断されたり形象づけられたりしたものを、漫然と技術と呼んでいる。だが之ではまず何より先に困難なのは技術と技能との区別を発見することだろう。技能は比較的に抽象的な人間能力の一つに他ならないが、技術の方は社会の一定の物質的与件(道具・機械・工場・交通設備・其他)と明白に結びついていなければならぬ。でこの生産技術(技能ではなく恐らく技能の客観的な実際的尺度となる処のもの)なる観念も亦、唯物論的観念から見て初めて、科学的な概念となることが出来る。
処がこの生産技術に就いての唯物論的な概念であっても、まだ必ずしも一定の輪廓を得ているものとは断定出来ない。大体唯物論的通念によれば、技術とは「労働手段の体系」だというのであるが、その体系ということの実際的な内容が何であるかが問題であって、もしこの労働手段の「体系」なるものが、結局労働手段自身であるならば、夫は社会の技術的基礎ではあっても、世間で云う所謂技術なるもの自身のことではない。もし又体系
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