社会の物質的な現実的な地盤である生産関係が、終極に於て社会に於ける人間の意識の形態を決定するのである。この際前者の物質的地盤が社会の下部構造で、後者の意識の形態が社会の上部構造と名づけられる。そしてこの上部構造がイデオロギーと呼ばれるのである。マルクスは之をイデオロギーともイデオロギー的形態とも呼んでいるが、元来イデオロギーはイデア(観念)の理論という語の意味であったことを参照して、我々はこの際社会の上部構造としてのイデオロギーを観念形態と訳すことが出来る。この訳語は相当行われている。
次に上部構造(観念形態)と前の虚偽意識との二つの意味の間の関係であるが、相反した主張を有つ二つの観念形態はお互に他を虚偽意識と見做すのを常とする。所が観念形態の内には社会の下部構造を忠実に反映したものもあり得るわけで、そうしたものは実は虚偽意識に対比して却って真理意識の資格を有つことが出来る。マルクス主義に於てはブルジョア・イデオロギーや封建的イデオロギーは現代に於ける虚偽意識を意味するが、之に反してプロレタリア・イデオロギーは正に真理意識を意味する。イデオロギーという語の意味がもつ真理意識と虚偽意識とのこの対立は、云うまでもなく社会階級上の対立を意味する。イデオロギーは従ってこの際、思想・観念・意識・真理、其他の社会的な階級性質を意味するわけで、今日文学や科学に就てイデオロギー性と云われているものは、この階級的性質乃至階級政治的特色を指す。
【イデオロギーと教育】 前述の最後の意味に於けるイデオロギーが教育に於て占める役割は絶大である。教育が一定の階級乃至国家、或は階級的社会の支配の下に行われる時は、その標榜する教育理想や教育方針の如何に拘らず、実際に於ては、良い意味に於ても悪い意味に於ても、イデオロギー教育であることを出でない。この点、所謂修身教育・公民教育・徳育・精神教育、其他に於て極めて顕著であるが、それだけではなく、一般的な所謂知育・職業教育・産業教育・技術教育、其他に於ても根本的な影響を有っている。支配的勢力が教育に於て採用するイデオロギーが、虚偽意識であった場合(そしてこれは今日極めて普通に存する場合である)、その教育が真理と原則的に全く無関係であることは不可避な必然なのである。
【イデオロギー論】 史的唯物論によるイデオロギーの概念を模倣したものは知識社会学
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