意識の事蹟乃至現実を実在と考える限り、主観的乃至主客合一的な型のものが存する。先きの「新実在論」の或るものやまた「実在的観念論」(Real−Idealismus)が之であって、之は云わば羞恥《はにか》める観念論と呼ばれるべきだろう。
羞恥める観念論[#「観念論」は底本では「親念論」]又は羞恥める唯物論としての実在論は、今日では更に実在論という名称にさえ羞恥を覚えるのを通例とする。事実実在論という名称は普通過ぎるので一定の哲学体系を特色づけるのに有効ではない。そこで現在では存在論という名称が選ばれる。「実在」という中世的形而上学的実体の観念の代りに、「存在」というギリシア的観念がおきかえられる。かくて実在論が云い表わそうとする唯物論的同感と同時に又観念論への気がねとが、特に特徴的に統一されて、表現されるのである。
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[#中見出し]プラグマティズム 【英】Pragmatism【独】Pragmatismus【仏】Pragmatisme.[#中見出し終わり]
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普通実用主義と訳すが適訳でない。この言葉は、プラグマ(身廻りの用具)という言葉から導かれ、パース(C. S. Peirce)の書物[#横組み]“How to make our ideas clear? 1878”[#横組み終わり]に由来する。ウィリアム・ジェームズ(W. James)によって著明となる。ジェームズによれば、この哲学は特に新奇な哲学体系を意味するのでもなく、又新しい見地を意味するのでもない。古来の或る考え方に名づけた名にすぎぬ。単に知識を獲得するための方法を説明するものに過ぎない。之は一定の定説や独断でもなく、研究の結果を意味するのでもなくて、却って新しい真理の発見へ導くための考えであり、より以上仕事をするためのプログラムであるという。彼はプラグマティズムを、一切の知識が一旦そこへ出なければ動きが取れないという意味で、多くの個室に通じる廊下に譬えている。
プラグマティズムに於て最も特色のあるものはその真理の概念である。真理とはそれ自身に価値があるのではなく、それによって初めてよりよく理論的実践的な仕事が選ばれ促進展開されるような、そういう底の性質を持ったもののことを意味する。人間の生活は理論的なものも実践的なものも結局実際的な
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