ョをその性格とする。存在するということは生成、変化、運動することに外ならない。存在は運動するものであって固定したものではない。人々はこの点から、ヘラクレイトスを弁証法の祖と呼んでいる。彼の弁証法はゼノンの夫とは異って存在自身の内に位置する所の客観的な弁証法である。云うならばゼノンのは思惟の弁証法であり、ヘラクレイトスのは存在の弁証法である。この二種類の弁証法は存在に対する二種類の態度から結果したのであり、後々の諸弁証法の二つの典型の源をなすものである。
 経験的知識の客観性を疑った点でエレアのゼノンと同じ態度を取ったソフィスト達は、ヘラクレイトスが存在に与えた矛盾性をば思惟に付与して相対主義を取り(「人間は万物の尺度」)、之を主張するために詭弁を用いて論敵を破った。この弁論術を自ら弁証法と名づけたのである。プロタゴラス(〔Pro^tagoras〕)に対立して彼自身恐らく最大のソフィストであった所のソクラテス(〔So^krate^s〕)は併し、却って真理の絶対性の信念の下に、世人の持つ誤った独断的知識の粉砕に力《つと》め、対話、問答を用いて知者と自称するソフィスト達を追求した。この対話術が彼の弁証法である。ソクラテスの対話術の精神はプラトンの諸対話篇となったのであり、プラトンは其等対話篇を通じて、諸概念の帰納と演繹とを極めて理論的に展開した。この彼独特の概念分析をプラトンは最高の知識の形式(哲学)と考え、この学乃至方法を弁証法と名づけた。弁証法はプラトンに至って初めて哲学的方法の名になったのである。弁証法がプラトンに於てかくも積極的なものとなりかくも質量あるものとなったにも拘らず、之が結局の処存在それ自身には関わりない主観の概念分析の内側に留まっていた弁証法であることを注意しなければならない。成程弁証法は存在という対象を明らかにするための方法に違いないのであるが、併しプラトンによればこの存在それ自身が全く固定した、地上から浮き上って凝結した、イデアなのである。見られるものを意味するイデアの概念は、それに就いての近代風の解釈がどうであろうとも、要するに何か幾何学的図形を表象させるようなそういう一定形態(形相、形式、エイドス、本質)を指し示す。それは生成変化するものの正反対物であり、又それであればこそ感性界の有為転変の彼岸としてプラトンが召し出した所のものである。もし仮に
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