ある。電子の研究を離れてはこうした理論の動機がなかったのだし、又物質構造の問題を離れてこの種の理論の時局的価値を理解することは出来ないが、そうした研究を実行することは高度の技術的水準を仮定したものであり、従って高度の産業の発達を仮定したものなのだ。従って原因を辿って行けば、窮極の意味に於ては近代産業技術の高度の発達に遠由しているわけである。思想と技術との脈々たる血縁は之でも判ると思うのだが、併し之は云わば科学の単に内部的な処に見出される原因でしかない。
単に内部的なものは決してそれだけで真実なものではない(ヘーゲルは大胆にそう云っている)、外部的なものも亦内部的なものに劣らず、真実なものだ。外部的な原因として誰しもすぐ様気づく処は、自然科学の研究と研究者との持つ社会的世間的条件の変化である。第一に、最近の日本のように軍需技術が特に跛行的に発達することを必要としている条件の下では、一般の産業技術と之の基礎として随伴する自然科学とに対する社会人の関心(「理化学」の研究が大切だと云われる)は、自然科学の原理的研究のために取ってある空間には、盛り切れないものを生じるのである。十年来、云わば産
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