がよい[#「した方がよい」に傍点]という点にある。科学階級性の論議はもう過ぎ去った通り雨だという風にされている。なる程この現象に間違いはないと思うが、併し左翼か右翼かを簡単に決めることだけが思想化[#「思想化」に傍点]というものではない。自然科学が例えば世界像や世界観の問題に踏み出せば、それは立派に思想上の問題として取り上げたことなのだ(『科学』一九三七、四月号)。科学教育の問題(『科学ペン』同四月号)も、科学的精神・科学的政策・の問題も、勿論自然科学から踏み出した思想問題だ。
科学階級性の問題につらなる科学大衆化の問題、科学的啓蒙の問題、それからアカデミーとジャーナリズムとの問題は、世界観や、まして科学政策・科学精神・科学教育・の問題と、どこが違うのか。而もこうしたものが今日の科学論の世界を支配している時局的課題なのである(この際特に、科学を自然科学に限ってはならないことを注意せよ)。これが今日の自然科学の思想化的現象である。そして之が、自然科学関係の科学論の内容をなすべきものなのだ。処でこうした科学論が、今日世間一般の大衆の思想上の課題として圧力を有って来たと共に、自然科学専門家
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