牽強付会は、出鱈目が歴史的認識などをかりて学究的になったものに他ならないだろう。博言的・文献学的・「知識」がそこに介在して来る。だから之はより組織された文学主義であり、より根拠の明らかな錯誤の体系であり、より衒学的でもあり得る言論機構だ。
 私は文献学主義という公式を用いて、現下の日本に於ける各種の日本主義的哲学や社会理論を最もよく分解出来ると信じる。だが云うまでもなく之は、日本主義だけの言論機構をなすものではなくて、今日の日本や外国の各種自由主義哲学の言論機構ともなっている。特にそれは解釈哲学や文化的形而上学と云うべき半ば世界的に流行しているブルジョア観念論の現代的基本形態に、特によくあて嵌まる。旧くキリスト教神学にも通用すれば近代観念論にも通用する。だからなおまだ、之を文化時局的に限定出来る余地を充分に残していると見るべきだろう。――そこで文献学主義の更に或る特殊な限定された形として、教学主義[#「教学主義」に傍点]を指摘しなければならぬと私は考える。
 或る論者は科学的精神と日本精神とが相反するものだということを世間に納得させようとする。云わば日本精神は審美的な表現を宗とするから
前へ 次へ
全25ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング