思想に於ても、資本制的支配者の道徳意識や世界観に於ても、洋の東西、時の古今を論ぜず、見出される一つの文化的態度なのだ。就中これは常識の形をとって発現することに自由を有っている。文芸がある意味に於て常識と密接しているだけに、この主義は文芸の世界に最も露骨に強力に現われやすい。文学主義と呼ぶ所以であるが、処が文献学主義の方はもっと限定された形態をもつのである。
文献学主義は文学主義のもっとアカデミックな形をとったものである。そこではとに角、歴史的認識と云うものの標榜を媒介としている。無論実際の歴史的認識ではなくても、各種の変態を遂げた限りの歴史主義を媒介としているのである。解釈学的精神や博言学的態度や文学的審美的評論がそれだ。だから之は、事物の歴史的な認識、乃至歴史理論に連関すべき事物の認識、に於てしか発動しない。例えば文学主義に於ては刹那的・印象的・放言というようなものとなる処を、文献学主義に於ては歴史的コジつけ[#「コジつけ」に傍点]というようなものとなる。万葉精神はギリシア精神である、などと云うのは前者であり、之に反して、日本はギリシアであるというような木村鷹太郎主義は後者である。
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