である。日本を今日あらしめたものが併し必ずしもこの教学的精神でなかったということは、教学の先輩である支那の後れた事情を見れば明らかだ。して見るとこの精神は決して日本の発達にとって根本的な効能のあったものでないことが判る。而も今日、夫が何か大いに役に立ちそうに益々祭り上げられつつあるとすれば、恐らく刹那的で末梢的な効能をねらってのことであると断ぜざるを得ない。だから今日の教学的精神が如何にクルしいものであるかを思わねばならぬ。――だがかつて教学的精神の栄えた土地は概して東洋であり、古代印度と古代以来近世までに至る支那大陸である。之は何かの意味に於けるアジア的イデオロギーであろう。で今日、東洋的精神乃至日本的精神の伝統に於ける反科学的精神に基く残滓は、終局に於てこの教学の精神にまで追いつめられて行くだろう。いや今日の支配者的文化の指導者達は、みずからそこまで引き上げ、そしてそこに立て籠もるようになるに相違ない。
 教学は時に宗教の形をとり、時に宗教から区別された道徳や形而上学の形をとる。宗教が神学的な形をとる時、必ず教学というカテゴリーを採用するのである。そして教学としてもっとも著しい嶄然
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