の倫理道徳主義があったのである。教学という東洋文化乃至日本文化に特に著しい名目的伝統が、何等か一応の文化的権威と生活上の真実を持つかのように、ボロを出さずに済むのは、他のことを抜きにすれば、全く技術的な実証的な問題を始めから回避してかかっているからである。処がこの秘密を一等露骨にブチまけているのは、東大の教育学教授入沢宗寿博士の著書『日本教育の伝統と建設』の類だろう。之は教学(日本の国民的宗教感情に基く文化)こそが日本文化の本質であり、教学精神に立った教育こそが、日本の教育伝統であり又今日の教育の建設的な理想でもなければならぬと主張するのである。この率直な意見は大いに傾聴に値いするのだが、では科学教育や技術教育になるとどうかと云えば、自然を通じて神を見ることを教えるのが理科教育の精神であるとか、偉大な自然科学者は又偉大な宗教家であるとか云って、ゴマ化して了うのであって、教学的教育のやや堂々(?)たる主張にも似ず、意外に貧弱な言葉をしか吐くことが出来ぬ。今日の日本では各方面に技術教育の重大性が良い意味に於ても悪い意味に於ても認識され、この問題が教育界の中心問題の一つになっているが、その時
前へ 次へ
全25ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング