局」に傍点]にまで昇格拡大されることになる。「教学刷新」刮目して待つべしであろう。この根本文化政策に較べれば、日本文化中央連盟による「日本的諸学」の観念などは、空疎で不純でスッキリしないことこの上もない似而非日本主義の観を免れない。凡そ、西洋の真似をした嬌羞める[#「嬌羞める」に傍点]日本主義の媚態位い清々しからぬものはないのである。
さて教学の精神を最もよく説いたものは、広島の徳育専門家である西晋一郎博士である。氏の『東洋倫理』という特色ある著書は思うに教学論の模範だろう。私は今『東洋倫理』という著書そのものを批判しようとも思わなければ、その体系を検討しようとするのでもない。氏によって教学なるものが如何に説明を与えられているかを、資料として見たいだけだ。従って例えば次のような道徳的俗物の臭味に対しては一々気を配っていることが出来ない。例えば曰く「性来個人意識の強い民俗の中には同等主義・民主主義の社会組織が発達し、商工の生起に適する処には社会的生活大に発達し、そこには自由競争が盛んとなり、自由競争の盛んなる処には妥協協定の術の長ずる利益社会が栄える。性来親子の情の濃厚なる民族にあって
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