は家族が生活の単位となり、そこには親子の道徳が大に興り、尊卑長幼の序という如きものが重んぜられる。而してかかる処には農業が最も適し、道徳と経済とは互に因をなすのである」云々。
 ところで教学とは何か。氏は明らかに教学を科学[#「科学」に傍点]に対立させている。と云うのは氏に云わせると「学」には二種類あると云う。一つは「真理ほど美しいものはないとして、美を求むる『エロス』から出発する真理愛たる所の学」であって、之は「自己表現を期する」学である。「かかる学は実に概念思想を以て結構せられる所の芸術というも可である。」之が恐らく科学のことである。之に反して第二のものは、「敬愛信奉を以て其の始めとし、立志の如何を眼目とし、志を尚ぶことを其の精神とする所の学」であって、之は「行為を期するもの」で「自己表現は志す所でない」という。之が教学なのだ。「敬愛といい、尚志という、すでに自己供捧を意味する。」かくの如く「一般に東洋の学は己を修め人を治めることを目的とする」というのである。――学問[#「学問」に傍点]とか学[#「学」に傍点]とか云われる時、すぐ様之を科学[#「科学」に傍点]と同一視しない心掛けが
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