、科学的精神の支配下に立つものではない、というような意見である。日本精神を審美的表現性を有つと考えることは併し、要するに之を以て知性的合理的表現に相応しからぬものとすることであるから、知識よりも人格、頭よりも肚、知育よりも徳育、云々という一切の実用主義的非合理主義と同じ目標を有つものである。だがいずれにしても、所謂日本精神と呼ばれるものを、往々にして科学的精神の反対物であるかのように考えるのが、日本主義者の通常であるようだ。今日の日本の民衆は「科学的精神」を旱天の慈雨のように欲しているのだが、日本主義者によると、それは民衆の伝統上、許すことの出来ないもので、日本の民衆は科学的精神を欲するものでないと垂訓するのであるから有難い迷惑である。
 そこで科学的精神に対立するものとして、日本では何か或る日本特有な日本的なものを有つだろうという結論になる。科学的精神に反対する分子の少なくないことは、別に日本には限らぬ。併し日本には日本特有な反対の仕方[#「仕方」に傍点]があり、又特異な意味に於て反対する特別な必要[#「特別な必要」に傍点]があるらしい、ということが判る。そういうものがあるものだから、科学的精神に対する対抗は執拗であり、込み入っており、且つゲリラ戦術的でさえあるのである。日本的なあるもの、という名に於て、科学的精神に反対出来るかのような逆宣伝も、初めて一応可能となる。科学的精神は西欧の精神であるとか、欧米精神であるとか、と云い出す無教養漢も之に応じて輩出するわけだ。――そこで日本に於ける特殊な反科学的精神として、取り出されねばならぬものが教学的精神[#「教学的精神」に傍点]なのである。
 尤も教学的精神=教学主義は、実は決して日本に固有なものではない。或いは寧ろ之を一種の外来思想であると云わねばならぬかも知れない。そういう血統の純不純のようなことなどは論外としても、少なくとも日本は支那にその先駆を有っている。特に漢代以後支那哲学の正統となった儒教は教学の尤なるものだ(経学・礼教)。又仏教殊に日本仏教は、今日常識的に教学と呼ばれているものの代表者であるが、仏教自身は勿論日本的なのではない。それだけではなく、ヨーロッパに於けるキリスト教神学も亦、教学というカテゴリーに飜訳出来る本質を持っている。勿論日本には日本古来のものと考えられる教学も存する。神道・皇道・惟神道・其の他と呼ばれるものがそれだが、併し之が三教の一つとして教学の本質を自覚するようになったのは、早くとも鎌倉時代、恐らくは室町時代からであろう(教学は教学としての自覚が大切なのだ)。真に教学としての神道に基礎をおいたものは江戸時代初期の儒学者である林羅山だと云われるのは興味のあることだ(本教・徳教・神教・大道・古道・帝道・という言葉はいつも古いが、この命名法は必ずしも日本的用語によるのではない。江戸時代に這入ってからは神学[#「神学」に傍点]という用語もある事はキリスト教神学やギリシアの神学と並べて見て面白いことだ)。
 教学は如何なる意味に於ても決して日本独特のものではなく、又東洋(支那と印度とを含む)に特有なものでさえもない。護神論時代・教父時代・以来のカトリック的精神に於てもなくはないものだ。だが、それが特に永く支配者の勢力を伝承し、且つそれだけではなく、生産技術乃至自然科学的(実用的自然哲学でもいい)と原則上無縁な発達をば永く遂げ得たものは、ヨーロッパではなくて東洋であり、そして夫が殆んど圧倒的に文化を支配すると共に、その文化そのものを高度にし高度の文化として之を伝承させ得たものは東洋に於ても印度ではなくて支那であり(支那仏教と儒教)、そして最後に、それが現代の資本主義的撞着の真只中に於て有力な社会の文化的支柱となって愈々高められようとしているのは、他ならぬわが日本だけなのである。まことにそういう意味に於て、日本は「東洋文化」の盟主でなければならぬように思える。
 で一切の教学は恐らく日本古来のものではあるまい。だが今日の日本にとっては、と云うことは今日の日本の支配的文化、即ち今日の日本の支配者的文化、にとっては、教学こそが伝統的な文化の根柢でなければならぬのである。今日の日本そのものの文化が教学に基いていると云うのではない。日本の支配者文化からすれば、日本文化は教学に基かなければいけない[#「なければいけない」に傍点]、というのである。なぜと云うに、今日科学的精神は日本の支配者文化にとって最も都合の悪いものなのであるが、これに対抗するためには教学なるものが最後の奥行きの深そうな保塁と思われるからである。国民精神・日本文化・国民道徳・其の他は、もはやたのむべき武器とはならぬ。一切は教学という根本精神によって最後の編隊をせねばならぬ。かくて思想局も教学局[#「教学
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