ある。一定の、恐らくその時必要な又は可能な、労働に対して、気乗りがしない時、その労働が免れることの出来ぬ課題であればある程、或いはその労働が唯一の許された可能な労働であればある程、暇つぶしと退屈凌ぎとの必要は大きくなる。つまり労働が欠如している時ではなくて、気の向いた労働が欠如している時に、之が必要になって来るわけだ。
暇や退屈に苦しむということは抑々贅沢のように考えられているが、併し実際は、労働が出来ないということは人間にとってこの上ない不幸と苦痛なのである。云わば人間は一秒々々の時間について労作の義務を感じているのである。人間生活の時間の有限性が、こういう義務感を発生させる。そうでない限り、永久に「明日ありと思う心」は消えないので、仕事を無限に延引することは少しも仕事の成就を妨げることにはならぬ筈だろう。処が、芸術は長く人生は短い、というのが事実で、そこから時間に就いての人間的責任が生れて来る、という風に説明して出来なくはない。率直な事実は、人間が一般的に労働しないでは一刻も意識生活が出来ないということだ。ところで或る特殊のその場で可能な又必要な労働が何かの原因で気の向かない時に
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