マのアップ・トゥ・デートであることなどの魅力としても現われているが、併し他の方面から考えると、勿論風俗的な要素だと云うことが出来る。芸術鑑賞者の大衆は、まずその風俗感から作品に誘惑され、そこから思想的な興味にまでつれて行かれる、物を考えさせられるのである。甘さの魅惑が思索への入口となるのである。甘味な感能と思索の鞭とは、本当に大衆的なそして大きな芸術に於ては、案外近いのだ。思想と風俗とはごく接近するわけだ。――処でこの外部的な甘味な魅惑こそは、他ならぬ娯楽と呼ばれているものに相当する要素なのである。
 するとこういうことになる。凡ての本格的な芸術は、娯楽から始まらねばならぬ、と。之が芸術の大衆性という要求が表に現わすことの内容の一つなのである。だから夫々の文化形象としての所謂娯楽(演芸其の他の如き)と芸術との間に、潔癖な限界を設けることは、勿論滑稽なこととなる。一体芝居やオペラは民衆の娯楽でないとしたら何であるか。にも拘らず之を芸術でないというものはいない。芸術と娯楽はそうまるで相反したものであってはならぬ。娯楽の行為こそ芸術鑑賞の第一歩でもあることを忘れてはならぬ。娯楽は民衆を教慰し
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